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ひらがなっていつから書けた? ~レディネスの重要性~

世間では盆休み、夏休みの時期ですね。
家族でどこかに出かける方も多いのではないでしょうか。

先日、帰省した友人からこんな話を聞きました。

飛行機で隣に2,3歳くらいの女の子を連れたお母さんが座ったそう。
通路をはさんだ隣の席にもまた親子連れが座り、
そちらは4,5歳のくらいの男の子。

しばらくするとあいだに座る友人を飛ばして
男の子が小さい女の子になにやらプレゼントをしたそうです。

それは1枚の紙とシールで、
そこには「かみとしーるあげるよ」と
かわいい手描きのメッセージも。

女の子は嬉しそうにシールであそび始め…
と、目前でこんな心あたたまる交流が繰り広げられるなか、
友人の頭を占めていたのは
「自分が4,5歳の頃って、ひらがななんか書けたっけ?」
ということ。

そして飛行機を降りて会うなり開口一番、
「ひらがなって何歳くらいから書ける?」
と私に聞いてきたのでした。

わたしが小さい頃、
ひらがなは小学校で習うもの
という認識が一般的でした。
そしてそれで何ら困ることはありませんでした。

しかし現在では、
ひらがなのみならずアルファベットや数字など、
いわゆる勉強という側面での教育が
どんどん前倒しされる傾向があります。

はやく立てた!
はやく歩けた!
はやくお箸が持てた!
はやく文字が書けた!
もうアルファベットも知ってるし、
海外の国旗だって覚えてる!

なんでも「はやくできること」がすごいこと、
すばらしいことと思われがちです。

でもこれは一概に正しいとは言えないのです。

人間の発達のしくみを勉強するとわかるのですが、
人の成長にはなにごとにも「レディネス」というものがあります。

「レディネス」とは、
「なにか」をできるようになるための
心身の準備が整っていること。

つまり人の発達や成長は一つひとつの段階のつみかさねであり、
本来は一段飛ばしにはできないものなのです。

それをまだ準備が整っていないのにもかかわらず、
むりやりやらせたりすると、
どこかに歪みが生じてしまうことになります。

例えばまだ手指の発達段階が進んでいないのに、
もう〇歳だからといった表面上の理由でお箸を使わせたとします。

そうするとまだ体はお箸を正しく握れる状態にはないので、
落ちついて上手に食べられなかったり
変なクセがついたりしてしまうのです。

文字を書くということも同様です。

文字を書くということには、
文字を読むということ以上に
いろんな身体の機能が整っていなくてはいけません。

手指の機能はもちろんのこと、
手首や腕などを連動させる機能や
姿勢を維持する機能…。

それらの準備が整っていないのに、
はやく文字が書けた方がいいという
大人側の思いを優先させて子どもにやらせてしまうと、
子どもにとっては大変な負担になってしまうこともあるのです。

「机の前に座ってなにかに取り組む」ということ自体に
苦手意識を持ってしまう子も出てくるでしょう。

今は乳幼児用のドリルなども巷にあふれ、
保育園ですら2歳からそういった「早期教育」に
取り組ませるところも出てきています。

まだその機能の整っていない子どもたちを
長時間イスに座らせ、ドリルを開かせ、
「あれができた」「これができた」
「次はこれをさせよう」と。

でもそれは決して「教育」ではないと思うのです。

一人ひとりちがうその子自身の発達を見極め、
その子にふさわしい時期に課題を与え、
その子が「自分でできる」という達成感や
「もっとやってみたい」という意欲を持ちながら
自分の興味があることに取り組めるようにすること。
その過程のなかに人として必要な基礎的な成長の課題が
さりげなく盛り込まれていること。

そのようなかかわりを持ってあげることこそが
ほんとうの意味での「教育」だと
私は思っています。

準備が整っていないということは
ただそれができないということではありません。

「ほかにすべきことが先にある」ということなのです。

1,2歳児ならイスに座っていられるよう
姿勢を維持する筋肉を発達させるためのあそびや運動を。

鉛筆やお箸が正しく持てるようになるための
指先や手首を使ったあそびを。

文字に興味が持てるようになるために
たくさんの語りかけや読み聞かせを。

わたしたちはついつい
目に見えてわかりやすい「できる」に
価値を見い出しがちです。

とくに自分自身に小さい頃のゆたかなあそび経験が少なく、
子どもとどうやってあそんだらいいのかわからない人ほど
ドリルなどの教材に頼ってしまうように思います。

乳幼児にドリルをやらせることや
文字や数字を習わせて書かせることが
わるいというわけではありません。

ですが子どもの発達を長い目で見通した上で、
そのとき、その子自身に、
ほんとうに必要なことを経験させてあげられる、
そんな力や知識をまずはわたしたち大人自身が
身につけなければいけないな。

帰省した友人の話を聞いて
そう考えさせられたお盆でした。

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