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反省なき山上特需、統一教会追及、ヘイトクライムを反省する

──「そうだとしても、たくさん悪いことをしてきた連中だ」と正当化されてきたのが差別や迫害だ。

加藤文宏

熱狂の急減速と忘れたい話題

 いま旧統一教会(家庭連合)追及騒動の熱狂が急減速している。

 感情の連鎖反応が異様すぎて追及の話題に乗り切れなくなった人がいる。「下関は教会の聖地」とした有田芳生氏の杜撰なレッテル貼りが失敗して、共感性羞恥に似たいたたまれない気持ちがダメ押しになったと語る人もいた。彼は「自分からは関わりたくない話題だ。なかったことにしたい? そうかもしれない」と言っている。第三者の視点を取り戻したことで愚かしさに気づいたのだ。

 旧統一教会追及の話題は、これから更にフェードアウトするかもしれない。解散請求が頓挫する可能性が高いため、話題性だけでなく追及の勢いそのものが落ちるかもしれない。だが、これで終わりにしてよいわけがない。

 憎悪を抱くことを勧めた言論と、扇動された人々の傍若無人な振る舞いは、いまだ彼らによって総括されず、とうぜん反省されていない。

 こうした無責任さが社会に負債を押し付けるのを、私たちは反原発運動で経験した。反原発運動は異論を葬り去るための吊し上げや口封じを、一度たりとも反省しなかった。議論が封じられたことで世論が歪められ、エネルギー政策が行き詰まり、再エネ乱開発や電気代の高騰を招いただけでなく、その後の社会運動に憎悪を醸成する手法が継承されたのだった。

 いま統一教会追及の狂騒を反省しないなら、教会と信者にとどまらない幅広い層に禍根を残すことになる。残された憎悪は、何者かによって矛先を変えられ再び利用されるだろう。

 

統一教会追及の流れと憎悪の拡大

 いったい誰が、何が、なぜ、どのように憎悪を生み、拡大させたのか。これまでのできごとを鳥瞰してまとめたのが以下の図だ。この図をもとに、統一教会追及の流れと現状を振り返ることにする。

 統一教会追及の[起点]は安倍晋三元首相暗殺事件だった。暗殺の動機に統一教会の名が挙げられて宗教二世の不幸が取り沙汰されたことで、教会を社会悪として糾弾する動きがはじまった。

 しかし当初は、できごとの概略と元首相の経歴を伝える報道がほとんどで、人々も事件の悪質さと影響に懸念を抱いていた。当日の午後8時台に毎日新聞がWEBページで公開した小沢一郎議員と青木理氏それぞれの談話から流れが変わりはじめた。これらの記事は、長期政権化した安倍政権に原因の一端があるかのように書かれていた。その後、深夜に奈良県警が催した会見で犯人の母親と新興宗教の関係が仄めかされ、ツイッターや掲示板などネットメディアに統一教会を名指しする憶測が書き込まれた。事件の翌日にはSmart FLASHが統一教会の影響を断定する報道を行った。

 島田雅彦氏が「暗殺が成功してよかった」と発言する動画で青木氏が諌めることなく笑っていたのは象徴的であるが、統一教会追及の[前段]にいわゆる「あべしね」と唱え続けた政治運動が存在し、暗殺犯の動機を肯定したり容認する動きが統一教会追及の大騒動化につながったのである。

 共産党は統一教会追及が教会との「最終戦争」であると認めている。これを裏付けるように、宗教二世をいかに救済すべきかが話題として取り上げられるようになるのは、おおよそ国葬が終了してからであった。7月から9月までの3ヶ月間は統一教会と自民党の関係を「ずぶずぶ」などと評する政治的な追及一辺倒であり、この問題を政局化させようとする立憲民主党の動きもひときわ目立っていた。これらが追及の[背景]であり[目的]で本質であったとしてよいだろう。

 政治的な追及はワイドショーのミヤネ屋を中心に、カルトの専門家とされる人々と司会者の宮根誠司氏によって進行した。どのようなものであったかは、・ミヤネ屋と専門家の構造 誰が陰謀論を生み 誰がテロに賛同したのか(note) / ・ワイドショーが善悪を決めていいのか(月刊「正論」・外部サイト) で説明した。統一教会追及では、教会を極悪非道なものとして悪魔化し、自民党を支配することで日本を支配しているとされたのだ。

 カルトの専門家と放送や出版などメディアは山上(徹也)特需とも呼べそうな状況に突入し、それぞれの利害が一致したことで、数ヶ月におよぶ憎悪の拡大再生産が続いた。これが追及劇の[構造]であり、核心部分である。

 現在に至る山上特需では、旧統一教会(家庭連合)からの反論や事実の提示が、追及側からもメディアからも黙殺されている。したがって教会のコンプライアンスの改善と改善結果としての訴訟数の推移、信者の実態、政治への影響の有無や実態などが知られることなく糾弾が進められた。

 偏った情報の[影響]を受けたのは、与えられた情報を鵜呑みにして感情に流されやすい素朴な人々であった。ここに言論人や著名人が追随して憎悪が拡大された。そして感情のうねりは山上特需に沸くメディアにフィードバックされて山上特需の商機を支え、憎悪の再生産を加速させた。

 この結果、度を超えた信者への人権侵害や、人権侵害を肯定する論調が形成された。ヘイトクライムが発生した[現状]は、アメリカ国務省が公開した『2022 Report on International Religious Freedom: Japan(2022年国際信教の自由に関する報告書: 日本)』で問題視されるに至った。

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(資料)

1.政治的背景

田原総一郎氏の「最終戦争」との指摘を肯定的にとらえる志位和夫氏の発言を伝えるしんぶん赤旗
2022年10月26日

2.これまでの取材と論考


ルワンダ虐殺との類似点

 統一教会追及の経緯は、ルワンダ虐殺を彷彿とさせる。

 ルワンダ虐殺では報道がツチ族への憎悪を煽っていた。なかでもラジオ・ルワンダはツチ族を「ゴキブリ(イニェンジ)」呼ばわりしながら、「フツ族はツチ族から攻撃を受けるだろう」と事実無根の警告を繰り返して、ツチ族殺害を大衆に推奨した。これらの憎悪を煽るプロパガンダは思いつきのヘイトスピーチではなく、組織的に検討され作成されたものだった。

 ルワンダ虐殺では、メディアの圧倒的な訴求力と、扇動された大衆の威力を前に、いかなる反論もねじ伏せられてしまった。しかも、ツチ族だけでなく憎悪の火消しに回った穏健なフツ族までもが同類とされて殺戮の対象となった。ラジオをワイドショーに置き換えると、まさに統一教会追及劇だ。組織的に危機が叫ばれ憎悪が生み出されて攻撃が推奨された点まで同じである。


憎悪の固定とヘイトクライム

 有田芳生氏が下関を旧統一教会(家庭連合)の聖地と決めつける街頭演説を行って強い批判を浴びたことからも、山上特需が終わりを迎えようとしているのが察せられる。しかし昨年のミヤネ屋劇場/ミヤネ屋法廷では、事実と異なる憶測だけでなく創作までもが憎悪を煽るために用いられ、批判が封じられたため日本支配説が広く信じられてしまったのだ。

 この陰謀説を信じる人がいて、それ故に利用する価値があると目されているかぎり、統一教会をめぐる憎悪は消え去らないどころか常識のごとく固定化されるのはまちがいない。

 憎悪を煽り、固定化する動きは、放送や出版のメインストリーム以外でもあった。たとえば鈴木エイト氏による地方アイドルグループを統一教会二世とする名指し行為が発掘され、SNSで拡散されスポーツ紙で報じられたできごとがあった。アイドルのマネージメント会社からは否定する声明が出されたが、情報発信者や拡散者のなかで真摯に対応した者は一人としてなかった。この「信教の自由(憲法二十条)」と「職業選択の自由(憲法二十二条)」が毀損されたできごとに、信者のみならず信仰を持たない二世、三世までもが恐怖を感じたと証言している。

 またツイッターでジャーナリストの佐々木俊尚氏が“「悪い奴は潰せばいい」という私的制裁”への懸念を表明したところ、日刊カルト新聞の藤倉善郎氏から「幸福の科学とズブズブだった自分もそのうち巻き込まれて叩かれる」から不安を抱くのだろうと揶揄されるとともに、宗教法人と相互に利益を得ている印象を与えられ発言権が奪われた。

Twitterより 2022年9月3日 8:17 AM 

 この「ズブズブ」の元の意味は「壺」とともに、相手が旧統一教会(家庭連合)と共犯関係にあることや信者であるとする当て擦りだ。ルワンダ虐殺における「ゴキブリ(イニェンジ)」呼びと同類の下品なスラングは信者のみならず反論や忠告を言論空間や社会から排除するために、教会追及側の人物によって使用され、教会悪魔化と日本支配説を信じ込んで扇動された素朴な人々が多用したのだった。

 人権侵害を証言する信者や信者の家族は多い。学校や職場で信仰を問われた人がいる。心を病んで治療している人がいる。富山市では「旧統一教会および関連団体と一切の関係を絶つ決議」が可決されている。入札や取り引きから排除された人がいる。挙げていけばきりがないが、ここで紹介した嫌がらせ、人権侵害、言論封殺の事例だけでもヘイトクライムの発生と広がりがわかるだろう。

 これら統一教会追及をめぐる状況が、アメリカ国務省の『信仰の自由に関する国際報告書』でも問題視されたのは前述の通りだ。2023年5月15日に公開された『2022 Report on International Religious Freedom: Japan(2022年信仰の自由に関する国際報告書: 日本に関する部分)』では、安倍晋三元首相暗殺からはじまった「不寛容、差別、迫害キャンペーン」が、ウイグル人やロヒンギャ族迫害問題と並列して扱われているのである。

 「そうだとしても、統一教会はたくさん悪いことをしてきた」とする声もあるが、あまたの差別や迫害が「統一教会」の部分を特定の人種や民族に置き換えたセリフで正当化されてきたのを忘れてはならない。

2022 Report on International Religious Freedom: Japan
国連UNHCR協会 難民支援サイトより引用


彼らは反省しない

 中山達樹弁護士が過去の国務省報告書を検証したところ、1999年から2022年までの22年間で16回も拉致監禁と強制棄教が信仰の自由を侵害していると指摘されているのがわかった。報告書の存在を専門家とされる紀藤正樹氏(および全国統一教会被害対策弁護団)、有田芳生氏、鈴木エイト氏らが知らないわけがないだろうから、これを知りながら彼らは拉致監禁と強制棄教を正当化してきたことになる。そもそも拉致も監禁も犯罪だ。

 各方面からマインドコントロールを証明する方法がないことや、カルトなるカテゴライズが宗教上の異端を示すものでしかないにも関わらず恣意的に利用している点が指摘されても、彼らは耳を貸そうともしなかった。

 統一教会追及の背景、目的、それぞれの思惑と憎悪醸成の構造のなかにある人やメディアは、これこそ彼らが言う「ずぶずぶ」な関係によってからめとられているため、いまさら主張と立場を翻すのは不可能だろう。

 つまり彼らは反省しない。自分の居場所を守るため、特定の人たちの居場所を憎悪によって、これからも奪い続けるということだ。とうぜん、憎悪は片付けられないまま放置される。

 この憎悪と、憎悪を醸成した手法は、いつ別の対象に向けられるかわからない。彼らが反省しない以上、誰が、何が、なぜ、どのように憎悪を生み、拡大させたのかを我々は問い続けなくてはならない。


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