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物件のチラシを見るのが好きだった

すごく嫌な思い出。だけどずっと覚えていて、怒りが湧いてくる、腹の立つ話。

小さな頃、空想がちな子供だったことは以前書いた。

頭の中で想像したりしているのが好きだった。

その流れで小学校高学年くらいの時、新聞の折込チラシに入っているマンションや一戸建ての物件のチラシを見るのが好きだった。

そこに載っている間取りを見て、頭の中で、この部屋にこれを置いて、ここはこういうふうに使って…とかいろいろ想像したり空想するのが好きだった。

そんなふうにしてチラシをよく見ていたら、ある時、母親がそんなに好きだったら、将来設計したり建築士にでもなれば?と言ってきた。

すると、そばにいた父親が一言、

お前には無理だ。

と言ってきた。

すごく嫌気分になった。

何でそんなことを言うんだろう。

何で否定するんだろう。

母親は、そんなのわかんないじゃないのと、かばうような発言をしていた。

しかし、今考えると、母親も父親も言ってることがおかしいと思う。

子供が無心で好きでやってることを、
学歴やいい会社に入ることを望み期待して、将来につながることに結びつけて考えて勧めてきた母親。

土木関係、ゼネコンに勤め、土木技師の資格を持っていて、設計やら建物作りなどに知識があった、その業界に近いところで働いていて、大変さや難しさもしっていたであろう父親。でも、子どもが無邪気に楽しんでいたことの延長で、まだ建築士になりたいとも言ってない段階で母親が話に出しただけで、無理だと決めつけて言ってくる父親。普段はほとんど教育などに無関心というか口を出さないにも関わらずだ。

その業界が厳しい、大変だというなら、私がそこを志望するといったときに、そのことを前もって伝えてくれればいいし、

お前 

には、

無理

だ。

と、だけ言われると、単純に自分の能力が劣っている、自分だけは無理だと自信をなくしたり否定された気になる。

とても深く傷ついた。

こういう父親の物言いや、私を否定するような言い方、言葉がすごく嫌いだった。今でも許せなく嫌いで腹が立つ、恨みに思う。憎しみと怒りを感じる。

後年、母親が亡くなったあと、実家で父と2人で生活していたとき、壁に何かの家具か何かの取り付けをすることになったとき、私が取り付けをしようとすると、父親がこう言った。

お前じゃ無理だ。

そんなのやってみないとわかんないだろ!

心の中でそう思った。

口に出してそう怒鳴ってやりたかった。

でも口には出さなかった。出せなかったのかわからない。

確かに自分は手先が不器用で精密な仕事や細かい作業は好きではないし得意でもない。

でも、ゆっくり自分のペースでやれば、出来上がりはともかくだいたいなんとなかそれなりに用を足すくらいのことはできたりもする。

1人で暮らすようになってから、家のことをやっていてもそうだ、得意でも好きでもないけど、自分のペースでやれば、それなりに最低限のことはできていると思う。

最初の一言のその後、結局建築士を目指すこともなかったし、チラシを見るのもやめてしまった。

父親のせいで、また将来のことに勝手に先回りして結びつけようとした母親のせいで、自分の無邪気な楽しみや興味関心を、削がれてしまった。

そう考えると、恨みに思う。

今、大人の自分が当時の自分に声をかけるとしたら、将来の職業にするとか考えないでいいから、好きなことだったら興味があるなら、間取り想像したり、物件のチラシ見るのを続けた方がいいよ。

好きなことを大事にした方がいいよ。

と伝えてあげたい。

大人の決めつけるようなことなんて、気にしなくていいと。だいたい無理かどうかなんて、やってみないとわからないんだし、誰にも断言なんてできないよと。それにそもそも、好きだからと言って、それを職業や仕事にするもしないも君の自由なんだよ、と。ただ好きでいいんだよ、と。

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