有望な若手が次々辞めていく…昭和型組織とは?
私の勤めていた会社に漂う空気は重く、若手社員が次々と辞めていく現実が突きつけられていた。
「ここは、今でも昭和だ」──誰もが心の中でつぶやいている。上意下達が根強く、私もまた社長の指示に従わざるを得ない立場だった。
そんなある日、若手のホープだった高橋がついに辞表を手に私のデスクへやってきた。彼は大きなため息をつき、悔しそうに言った。
「森野部長、自由に意見も言えない環境では、僕は成長できない気がするんです」
その言葉に、私は内心「その通りだ」と思いながらも、何もできない自分が悔しかった。
高橋の辞表を受け取り、私はついに社長に直談判する決意を固めた。ノックをして社長室に入ると、社長が不機嫌そうに私を見上げた。
「森野君、何か用か?」
「社長、若手の離職が続いています。このままでは活力が失われてしまいます。意見を出し合える場を作り、チーム全体でビジョンを共有するスタイルが必要だと感じています」
しかし、社長は顔をしかめ、冷たく言い放った。
「何を言っている。うちは安定が何より大事なんだ。若手がやる気を見せるのは、上の指示に従うことに尽きる」
社長の言葉に、私はうろたえたが、心の中でこう叫んでいた。「時代はもう変わっている。このままでは会社が未来を失う!」
社長の頑なな態度を前に、私は自分の力で変えるしかないと決意した。
諦めるわけにはいかない。私は自分のチームだけでも変えるため、密かに「ビジョン共有会」を設けた。この共有会には、あるルールを設けた。それは「誰の意見に対しても反対しない」というものだ。反論がないことで、自由に意見を出しやすくし、各自が何を考えているかをみんなで知る場としたかった。
最初の会議で、メンバーたちは戸惑いながらも少しずつ自分の考えを語り始めた。最初は違和感を覚えているようだったが、回を重ねるごとに本音が出始めた。
「部長、僕は新しい広告手法を取り入れてみたいんです。最近、ネット広告がどんどん進化していて…」
「いいアイデアだな、それを一緒に実現しよう」
意見を出しても否定されない場に、皆の目が輝きを取り戻していった。私はこの場が活力の源になると確信した。部長の立場でこっそり進めているとはいえ、社員たちが心から意見を言える場ができたのだ。
ある日、このビジョン共有会の活動が社長の耳に入ってしまった。誰かが「森野が勝手なことをしている」と密告したらしい。私は再び社長室に呼び出され、冷たい眼差しを向けられた。
「森野君、君が勝手にやっていることは聞いているぞ。この会社にそんな自由など不要だ。秩序を乱すようなことはやめてもらいたい」
社長の厳しい言葉に、私は内心で震えたが、退くわけにはいかなかった。私は毅然として言い返した。
「社長、もう一度だけチャンスをいただけませんか。このままでは若手がどんどん辞めてしまいます。皆がビジョンを共有し、安心して意見を言える場がないと、会社の未来が危ぶまれます」
社長はしばらく考え込み、「お前のやり方がどれほどのものか見せてもらおう。ただし成果が出なければすぐにやめてもらう」と条件をつけられたが、ひとまず私の取り組みを続けることが許された。
それから数ヶ月、ビジョン共有会がチーム内の信頼を育み、次第に成果を伸ばしていった。意見が否定されないルールの下で、各自が発言しやすくなり、全員が協力し合い、士気が高まっていった。いつの間にか、チームは社内でも注目される存在となっていた。
ある日、社長が視察に訪れた。私たちのチームが生き生きと発言する様子を見た社長は、少しだけ微笑みながらこう言った。
「森野君…どうやら君のやり方も悪くはないようだな」
その言葉を聞き、私は心の中で小さな勝利を感じた。そして、「これからもこのチームで成果を上げていきます」と力強く答えた。
その後、私の取り組みが少しずつ他の部署にも広がり、会社全体が「共創」を重視する風土へと変わっていった。誰もが意見を言い、否定されることなく共感し合う場が増え、社員たちが自分の意志で動ける組織へと進化し始めた。
「昭和」の影に縛られていた会社が、時代に合わせた新しい組織へと生まれ変わりつつあった。私は心の中でつぶやいた。
「高橋、聞こえているか。お前が残してくれた言葉が、ここで生きているぞ」
そして新たな未来へ歩みを進めるチームの背中を見つめながら、私は静かにほほ笑んだ。
私のテーマは「人生の試練が教えてくれたリアルなストーリ」を1日1話発信。ビジネスや人生に役立つヒントや気づきをお届けします。迷いや悩みが生まれた時は、一緒に地図を広げ、進むべき道を探していきましょう!
@morizo_23