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選ばなかった道で 得られたものを考えてもしょうがない

昔、ポケモンのゲームをしていた時に

化石からゲットできるポケモンがいて

2種類の化石のどちらかを選べ

という選択で、どちらにしようか

迷ったことを思い出しました。


結局、見た目がかっこいいと思う方を

選んだのですが、もう片方は

砂地の下に潜って消えてしまいました。


私は、ある一方を選ぶと

もう一方の道をあきらめなければいけない

という選択の残酷さを感じたと同時に


もう一方の選択肢を選んでいたら

どんな気分だっただろうか、と。


2つの選択肢のうち

片方を手にしても、その時は

失った別の選択肢の事がその場で頭の中に

浮かんでしまったのです。



ここで話を戻すと

人生は、選択の連続であると言えます

大小さまざまな選択肢の中から

私たちは、いろんな意思決定を行い

生活をしています。


ここで、選ばなかった選択肢

つまり、自分が手にできなかった

失ったことに意識を向けたとしたら


せっかく手に入れたものを

充分に活かすことが出来るのでしょうか?


私は先のポケモンの例からも

感じたことなのですが


自分で決めたら

失った、もう一つの選択肢の事を

くよくよ、たらればで妄想するよりも


自分で決断した選択に潔く自信を持って

その道を突き進んでいったら

良いと思うのです


潔い心根が、自分の覚悟を

よりはっきりさせる為

自分の道に不安になったり

過度に妄想を広げたりすることもありません


選択に恐れを抱き

失うことが怖いのであれば

どっちを選んでも

自分に手に入るものは

“経験“であることを思い出してください


仮にどちらの選択肢を選んだとしても

その先には自分の人生の続きがあり

その続きから

自分がさらなる経験を

積んでいける自信があれば


過去の選択に後悔する必要はないのです

もし自分があの時、違う選択をしていたら

と思って、頭を悩ませているのであれば


それは自分が選んだ一つの真実であり

それがその時の自分にとって

選ぶことが出来る選択だった


と割り切ることも必要なのです

割り切ったうえで、さらに

自分の経験に意味づけや

その価値をあげていく努力に

気持ちを集中していければ


目の前の気持ちの曇りは

いつの間にか晴れている事でしょう



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