好みの客観視

今日は自分の持つ人生観について書こうと下書きに書き留めておいたのだが、急遽思い付きにより変更することにした。

自分が好きだと思うものが、客観的にみると印象がよくない。そんな知りたくない真実を知ってしまった時、何とも言えない気持ちになる。

私は洋服が好きだ。というのも、パリコレのように特殊な形をしていたり、変わったデザインの服が好きなわけではない。つなぎやダボっとしたトレーナーワンピースを好んで着る。最近はサマーニットに目がない。

私の部屋には100着ほどの服がずらりとラックに陳列しており、クローゼットには到底収納できない量だ。

この服たちも就職するにあたって必要な服と不必要な服に分類してやらなければならない。そういえば、紫芋を連想させる色のワンピースをつい最近部屋着にしたところだ。

その中でもお気に入りでよく着る服がある。白いロング丈のトレーナーワンピースと、ピンクのトレーナーワンピースの裾にレースが付いたもの。そして赤と黒のチェック柄のシャツワンピースだ。

自分の中ではデザイン、着心地、利便性、何をとってもトップ3に入るお気に入り服なわけだが、ある人に「その服着てると妊婦さんみたいだね」と言われてしまった。

客観的に見るとそう見えるのか…と少々絶望しているところである。

妊婦さんみたいだね、という言い回しも失礼だ。そんな遠回しに言わなくたって太って見えるよとでも言えば良いじゃないか。何と言われても傷つくことに変わりはない。妊婦さんにも失礼だ。

しかし、逆に考えれば自分がダサい、似合わない、と思った服でも似合ってると感じる人もいるのだろう。不思議なものだ。

そもそも、自分が好きで選んだ服を「似合わないよ」とわざわざ否定する必要はないのではないか。…ああ、でも周りに似合わないと思われている服を好きだからと言って着続けたいかと問われると、それもそれで微妙に思う。

似合っていないなら似合ってないと言ってよ。と思ってしまう自分もいる。

ジレンマだ。

私は、親しい間柄の人間に対しては、よっぽど隣を歩くのが恥ずかしいと判断した場合に「その服あんまり好きじゃないな」と伝えるようにしている。これだって余計なお世話だと思われているかもしれない。

もし私に「その服着てると妊婦さんみたいだね」といった人も同じ感覚でいたならば、申し訳ないことをしていた。


自分が良いと思うものでも他の人から見たら悪いものである可能性もある。

逆もまた然り。

他人の好みや思想には口出しをしない。これが平和的解決。

だって自分に害はないんだから。

私も気を付けよう。


……明日から何を着よう。




おわり。

2020.7.20 morita

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