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「あの人に会う価値」への違和感

ある大人が、「この人は素晴らしい人だよ。会う価値あるよ」と言う。

またある大人は、「人間は全て等しく平等なんだ。生きているだけで素晴らしいんだよ」と言う。

ーー

少し前から、不登校の小学生と、オンラインで週に一回お話する機会をもらっている。

初めに、保護者の方と顔合わせ・打ち合わせをして、その子についての情報をシェアしてから、プログラムがスタート。

初めてのその子との対面。
カメラの前にいたのはお母さん。
その子は嫌がって来てくれなかった。

学校には数年前から行けなくなり、最近はほとんど人に会いたがらないそう。学校の先生が家まで来ても拒否だそう。

ゆっくり関わっていこう、そう思った。

第二回目。
またカメラの前にいたのはお母さん。
まだ、嫌がっているらしい。

どうやったら、警戒心なくしてくれるかな、そう思った。

その時、お母さんが教えてくれた。

「誘ったんですけどねぇ。

『森ノ住処ちゃん可愛いから会う価値あるよー』

って。そしたら、


『会う価値ない人なんているの』


って。こういう理屈はすぐ言えるんですけど…。」


ずっと学校にも行けていなく、人に会うことを拒み、まだ私に顔も声も知らせてくれない彼が言うこの言葉は、どんな力を持つのだろう?

これまで私が聞いた、平等や対等、人権を謳うどんな言葉よりも重みがあり、頭から冷水を被されたようだった。

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