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生まれて初めて差別を受けた話

悲しみはいつも突然だとはこういうことかと思った。父方の祖母が急死した時もそう思ったが、その時とはまた違う悲しみだった。人類は他の集合体である。性別、性格、体型、年齢。他と違うことを認めて初めて人生や平等は成立する。

一部の場合を除いて、成立していると思っていた私のイメージは崩壊した。世界は簡単で残酷だった。


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ある晴れた日の昼下がりのこと。私は買い物をしにスーパーマーケットへと向かった。昼ごはんと夜ご飯の献立を考えながらいつも通る橋をゆっくりと渡って。ベルリオーズ。幻想交響曲第五楽章を聴く。私が一番好きなクラシック曲。多分全パート歌える。わからないけど。


スーパーマーケットでカゴにいろいろなものを入れた。新商品のアイスクリームがやけに美味しそうに見えてついつい買ってしまうのは何故だろうか。今日の風呂上りにでも食べようかなんて考えて、セルフレジに並んだ。長蛇の列だった。今日は安売りの日だったのだ。前に並んでいる女性は、普通のカートよりも2回りほど大きいカートに、大量の食糧やら日用品やらを載せて並んでいた。「あー、トイレットペーパーも買わなきゃだったな」なんてことを頭の中で思っていた次の瞬間、思いがけない声が耳に刺さった。目眩すらした。

若者がヒョロヒョロ出歩くんじゃないよ!!買い物なんてくるな!ほら離れて!!!しっしっ!!

訳がわからなかった。生活音を取り入れるためにAirPodsのノイズキャンセルをオフにしていた自分を初めて恨めしく思った。ふと思った。周りも不快な思いをしているに違いない。私の味方だ、そう思って周りに救援要請の視線を送った。が、私の考えは浅はかだったのか。私の周りの人間は私の半径2メートルがガラスの壁で覆われたかのように、綺麗に避けはじめた。その瞬間私は宇宙人だった。異世界だった。大袈裟だと思うかもしれないが、ものすごく人間が怖かった。人間じゃないのは私なのだろうか。

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なんとも言えない感情を抱えて、家に帰った。もちろん買い物はしたが、如何せん宇宙人だった私はもう何にも覚えていない。大好きなあの橋を渡ったかどうかも怪しいほどだ。

この感情は、のちによく考えたら怒りであることが判明した。そんなことで差別というな。お前が悪いなどという意見はそっちのけで書かせてもらうが、そもそもあの女性はどこで「若者が悪い」という考えを植え付けられたのだろうか。彼女がCovid-19の専門家であり、世界ではじめて「若者が菌をばらまいた」ことを科学的に証明したなら完全に私の負けであり、この記事は大大大大大炎上であろう。そうでない場合は、他でもない、マスメディアのおかげである。

この日本という国はよくも悪くもマスメディア大国であり、日々是炎上と言わんばかりのニュースや記事が取り上げられている。大袈裟な記事や、タイトル詐欺はもちろんのこと、炎上商法とかいうことまで起きる世の中である。メディアは「正しい事実」を「正確に」そして何より「わかりやすく」伝えるのがその仕事であり、本来の用途はもはや失われている。

今回の女性の言動がどのような経緯で生まれたのか。その時とてもフラストレーションが溜まっていて、それが爆発したのかもしれない。(そんなことでストレス発散のはけ口になるのはとても腹立たしいが)


ただ私が言いたいのは、差別がここまで身近になっているということ。そして、情報の取捨選択、判別がとても難しい現代のマスメディアに対する警鐘である。コロナウイルスの感染拡大による、止むを得ない自宅待機でフラストレーションが溜まるだろうが、皆同じである。こういう時こそ協力するのが正解であって、貶し合いは何も生まない。生まれない。

複雑で齟齬の多い時代である。生きにくい。

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