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『赤毛のアン』に出てくる犬年代記

赤毛のアン・シリーズには、犬がたくさん出てくる。
犬が好きで、好んで犬の話を読むような人のために、4匹を紹介しようと思う。

1、ジム船長と相棒だった犬
2、孤独なレスリーの老犬カーロ
3、ロディ・クロフォード少年とブルーノ
4、ジェム・ブライス青年とドッグ・マンデイ

1、ジム船長と相棒だった犬

「犬を飼っておられると思っていましたよ」と、ギルバート・ブライス(アンの夫)が言うと、ジム船長は頭を振った。
「もと飼ってたです。大事にしてたで、それが死んでしまうと、またほかのをそのかわりに飼うなど、考えるだけでもたまらなかったですよ。
友達でしたでな――。
あんたにゃわかんなさるでしょう、ブライスの奥さん(アン)?
メーティ(猫)はただの仲間ですわい。
わしはメーティが好きですよ――ちょっと悪行をはたらくところがあるでよけい好きですよ――猫はみなそうですがね。だが、わしはあの犬をば熱愛してたですよ。
アレキサンダー・エリオット(愛犬と同じ墓に入りたいと頑張った老人。妻と教会に怒られて断念。墓のことは折れてやるが、人間に負けない魂を持っている俺の犬は最後の審判の日には人間と同じように復活するぞ、と宣言した。)の犬のことでは、あの男に密かに同情しましたわい。
よい犬には悪い性質が一つもないでな。
それだからこそ、犬の方が猫よりかわいいんだと思うですよ。
だが、残念ながら面白味は猫ほどじゃありませんわい。」



『アンの夢の家』で、新婚のアンとギルバート夫妻が、隣人である灯台守りのジム船長の家へ遊びに行ったときの会話。
アレキサンダー・エリオットのような強烈な変わり者の、人生を圧縮するようなエピソードがさらりと語られるところが、アン・シリーズの醍醐味。
強いこだわりや個性が、譲り合って生きているのがいい。



2、孤独なレスリーの老犬カーロ

ある日、老犬が死んでしまい、レスリー(アンの隣人)は嘆き悲しんだ。
「この犬はながいあいだ、私の友達だったのに」レスリーは悲しそうにアンに話した。
「カーロはたいそう私に懐いたのよ――、カーロの愛情のおかげで、
母が亡くなったあと、たった一人だった、あのたまらない最初の年がすごせたの。・・・
私はうれしかったわ。
その愛情をぜんぶ独り占めにできるものを、たった一つ持っているのはうれしいことだわ。
あの年とった犬のおかげで私はどんなに慰められたかしれないのよ。・・・
けさはたいそう元気そうだったのよ。
炉の前の敷物の上によこになっていたけれど、そのうちに急に起き上がると、這うようにして私のところへやってきて私の膝に頭をのせ、大きな優しい眼に愛情をこめてじっと私を見て――、それから身を震わせて死んでしまったの。
あの犬がいないと淋しいわ。」


『アンの夢の家』で隣家のレスリー・ムーアが、飼っていた老犬を亡くす。
十六歳から十二年ものあいだ、困難な生活を続ける、孤独なレスリーを支えていた。アン・シリーズはどれも、複数の人生エピソードの編み物なのだが、『夢の家』のレスリーとジム船長のエピソードはとりわけ壮大である。
ジム船長の灯台からの眺めは、ぜひ、一度読んで欲しい。

3、ロディ・クロフォード少年とブルーノ

ロディ・クロフォードの父親が亡くなり、ロディ少年は、町にいるヴィニーおばさんの元に引き取られることになった。
ロディ少年の家と農園を買い取ったジェイク・ミリソンは、ヴィニーおばさんは犬嫌いだから犬を溺れさせるか早々に誰かに譲り渡すように少年に迫った。
そこでロディ少年は新聞広告を出し、ジェイク氏にひどく怒られながら5人の犬を飼うのに適当ではない人々を断り、
ついに、愛犬ブルーノを、ジェム・ブライス(アンの長男)に託した。

ジェム少年はブルーノを熱愛した。ブライス家の誰もがブルーノに親切にした。ブルーノは従順で行儀の良い犬だった。

しかし、いつまで経っても、ブルーノはよそよそしく、近づきがたく、よそものの犬のままだった。

「ブルーノはどこにいるの?」と、ジェムは叫んだ。・・・
ブルーノがどこにいるのかだれも知らないことが分かった。・・・
雨は篠突くように降り出し、世界は稲妻に姿を消した。
この真っ黒な夜にブルーノは外に行ったのだろうか……迷子になったのか?
ブルーノは雷雨を怖がっていた。
ブルーノが心からジェムの近くへ来るのは、空が真っ二つに裂けるあいだ、そばへ這い寄ってくる時だけだった。
ジェムがあまり心配するので、父は嵐が過ぎると、こう言った。
「どちらにしても、(・・・)岬へ行かなくちゃならないから、ジェム、お前もおいで。帰りにクロフォードの家へまわってみよう。きっとブルーノはあそこへ戻っていると思うよ。」
「六マイル(約10km)もあるのに?そんなことできっこないよ!」
と、ジェムは言った。
ところがそうだった。
二人が人気ない灯火も灯っていない、もとのクロフォード家へ着いてみると、濡れた段々にぶるぶる震えている泥だらけの小さな犬が、疲れた、満たされない眼で二人を見上げた。

ジェムは犬を抱きしめて幸福な気持で家に帰った。

しかし、最後の望みを失った小さな犬は、食べ物を食べなくなった。

ジェム少年は獣医の置いていった強壮剤を犬に飲ませて、ながいあいだブルーノを見つめていたが、やがて父と話すことがあって書斎へ行った。
次の日、父親は町へ行き、問い合わせたのち、ロディ・クロフォードを家へ連れて来た。

ロディとブルーノは人生の喜びを取り戻した。
そして、ジェムこと、ジェイムズ・マシュウ・ブライス少年は、一生犬を飼わないと心に決めた。

『炉辺荘のアン』では、アンの子供達の幼年時代が綴られている。
炉辺荘(ろへんそう)は、アンとギルバートが移り住んだ屋敷の愛称。
近くにある野原を、虹の谷という愛称で呼び、子供たちが遊び場にした。



4、ジェム・ブライス青年とドッグ・マンデイ

ドッグ・マンデイは炉辺荘の犬である。

月曜日にウォルター(アンの次男)がロビンソン・クルーソーを読んでいるところへ家族の仲間入りをしたので、その名前がついている。

マンデイは、黄色い体に黒い斑点がやたらについていて、その一つは片一方の目の上にきている。戦闘が不得手で耳はずたずたになっている。
容貌の良くない、至極ありふれた犬だったが、一つの強みを持っていた。

その不器量な毛皮の中には、どの犬もかつて持ち合わせたこともないほど愛情深い、律義で忠実な心臓が脈打っていたのであり、褐色の眼からは神学者の及びもつかないほど人の魂に触れるものがのぞいていた。

愛情深きマンデイは、炉辺荘の長男、ジェム・ブライスの犬になった。

年月は流れ、愛国心と正義感を持つ青年になったジェム・ブライスは、戦争に行くことを決意する。

村の皆が駅まで見送りに来た。ドッグ・マンデイも来ていた。
ジェムは炉辺荘でマンデイに別れを告げようとしたが、マンデイの訴えがあまりにも切実なのでジェムも折れて駅まで来させたのだった。マンデイはジェムの足元を離れず、愛する主人の一挙手一投足をも見逃すまいとしていた。汽車が発つとき、マンデイは陰気な声で吠えており、汽車を追って走ろうとするのを牧師が力いっぱいひきとめていた。

炉辺荘に帰った家族はマンデイがいないことに気が付く。

シャーリー(アンの三男)が探しに行くと、マンデイは駅の近くの積み荷小屋の一つにまるくなっていた。
なだめすかして家へ連れ帰ろうとしたが、マンデイは頑として動こうとしない。家に連れ帰り、閉じ込めたところ、断食を始めたので、家族は諦めてマンデイを放し、マンデイは駅に戻った。
家長のギルバートは、駅の近くの肉屋と、犬に屑肉を食べさせてくれるように取り決め、家族の誰かしらが毎日犬の様子を見に行った。

マンデイは積み荷小屋にまるくなって横たわり、汽車が入ってくるたびにホームへ一散に走っていき、期待に溢れた様子で尻尾を振りながら汽車から降りる人々の間を一人残らず駆け回る。
やがて汽車が去り、ジェムが帰って来なかったことが分かると、マンデイはしょんぼりと重い足取りで小屋へ戻り、がっかりした目で横になり、じっと次の汽車を待っている。

家族は戦地のジェムにそれを知らせた。ジェムは手紙にこう書いてきた。

家の者がだれか駅へ行くときは、必ず僕の分としてマンデイを二つ軽く叩いてやってください。
あの忠実な小さな奴がそんなふうにしてあそこで僕を待っていてくれるとは!
正直のところ、父さん、この頃のような暗い寒い晩、塹壕に入っているとき、何千マイルも離れたあのグレン村駅で小さな斑犬が僕と寝ずの番を分ち合っているのかと思うと、どんなに心が暖まり、元気づくかしれません。


『アンの娘リラ』のドッグ・マンデイは、名作の名犬の代表格。
ジェイムズ・マシュウ・ブライスは、ついに、最愛の自分の犬を手に入れたのだった。

『アンの娘リラ』では、末娘リラの精神的成長と、大切に育ててきた赤ん坊を戦争に取られて殺されるアンの苦悩と、戦争の集団心理の中で抑圧されていく繊細なウォルター青年の恐怖が描かれていく。

物語の終盤、意地悪で不満足な知人が、四年間の生死の狭間でも一ミリも成長しない精神で、リラに嫌味を浴びせる。
リラは手を動かし、雑音を聞き流しながら、重要な問題を考え続けた。
人生は大きいのだ。
こんな無意味な悪意を拡大して受け止めることに、時間を使う価値はない。
リラが「大人」になるまでの過程が見事に描きとられている。

終わりに:犬の話は立派な物語でちょうどいい


私はずっと、犬の話は、聖人君子のような悲劇が多すぎる、と思っていた。

確かにそこは犬の美徳のひとつであるが、
もっと、ライトでオシャレでお茶目なところをアピールした方が、
犬派の人間が増えるのではないかと、なんとなく思っていたのだ。

だが、今回、犬の文章を書き写していて、考え直すことになった。

最初の段差は高くていいのではないか。

狭き門のほうがいい。

ドッグ・マンデイに、恥じない自分かどうか?

犬は、忠犬ハチ公のように愛情の重苦しい難しい生き物だと、覚悟していたほうがいい。

生き物を飼うということは責任が伴うのよ、と大人が口を酸っぱくして言い続けるのは、子供を狭き門より入らせるためなのだ。

狭き門より入れ。

滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。

命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。

「新約聖書―マタイ伝・七」


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