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抜けた気配と敏感でいることについて。

明日で5月が終わる。
今月はなんだか自己の内に内に迷い混んで、世間から遮断された世界で孤立しているような気持ちで居た。苦しかった。辛かった。


ずっと続けていた断捨離も、ようやっと一段落しそう。
まだ思っているよりも物は多いけれど、引っ越す時にする作業が減った気はしている。
物がないのって良いな、と思う。
ミニマリストにはなれないけれど、心が簡潔になる気がする。
ただ、私は心が簡潔になりすぎて何もかもドライに感じなくなることに慣れていく自分が怖くて、捨てる物を程々にした。
そこに相まって絡み付くややこしい感情こそが、私にとって大切だと思っている。

その渦中にいる間は、ものすごく辛く もがき、人に迷惑をかけることもあるだろうけど、それを経ての先にあるものが見たい。

心を感じなくすること、蓋をすること。
スイッチをきること。
すぐできるし、身を守るにはとても大切。
感受性というものが人よりも強く、敏感な私にとって世間でいう『生きづらい』という感覚はずっとある。
困るなぁと思ってはいるけれど、良かったなぁと思う事が多いので結果たぶん、困ってはいない。天の邪鬼だからか。
と、言うよりも良かったなぁと思う事しか覚えていないから。
とても都合のいい脳みそに進化し、適応した自分に感謝しているところです。

敏感さは人によって各々で、それも目に見えない自分にしか分からない感覚。
理解ができない人には、気持ち悪いスピリチュアルに傾倒している奴だなんて思われたりする。

何事も程々で、のめり込んだり それしか出来なくて、全てになってしまうのは違うと思うけど、私は、目に見えないものを信じている。

占いも霊的な感覚も、自然を感じることも。
(宇宙のエネルギーが…とかいう分野は分からない…。)
人の痛みや傷み、人から飛んでくる氣や、感情に敏感なタイプだから合ってしまえば、その人の痛みまで分かってしまう。
想いや 氣 で体調が悪くなる。
それだって錯覚かもしれない、頭がおかしい、気持ち悪い、だなんて何度も自分で思った。むしろ、未だに自分は何に反応しているのか分からない。
痛みなのか霊的なものなのか。
本格的に頭と精神がおかしくなったのか。


誰にも言えなかった。
家族も変な奴だと思っていると思う。
やっと少しばかり理解が増えたけれど。

大多数の普通と言われる人達の心身の状態が、はたして普通なのだろうか。
生きづらいと思っている人達の心身の状態が人間としてのスタンダードなのかもしれない、その人の適応能力や、敏感なことに気づいていない。という違いだけなのでは、と思ったりしている。


全て、目に見えないものを参考にして ちゃんと自分で考えて進む。
生きやすくてスイスイ泳ぐだなんて、私には怖すぎる。
大切なものを絡めて見失わないで生きていきたいと思う。



敏感で良かったなと心から思える事のひとつとしては、感情や想いの 気持ち だけで 心も身体も気持ち良くなれる。という事。
それを知れたこと。
ほら、やっぱり最後は変態な話でした。


5月は長くて重かった。
断捨離含め、心身と向き合えたこと、良く頑張りました。
あとは整えて動くのみ。
梅雨は憂鬱だけれど、頑張ろうと思う。


ようやく 抜けた気配。
そんな土曜日の昼下がり。



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