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お友だちは、ユーレイ

母の生家は霊園の中にあった。
其処には祖父や祖母の墓もあり、幼い頃はお盆の時期になると家族で墓参りに訪れていた。

病弱だった夫と六人の子供を抱え、祖母は生活のために霊園管理の職を得て、住み込みといういうのだろうか、一家は霊園の中に管理所も兼ねて建てられた借家に住んでいた。
霊園のある山は街の中心部に位置しており、中腹にあった霊園からは美術館や市立図書館、デパートにも徒歩で行けたので「自分は都会育ちだ」と母は胸を張っていた。
全国でも街の真ん中に里山があるというのは珍しいようだけれど、其処は古来から山岳信仰の霊山とされ天狗が棲んで居たという伝説もあり、いくつもの神社がある。今でも街のシンボルとして、眼下に市内を一望できる展望台はデートスポットになっているし、桜の季節は枝垂れ桜にぼんぼりが灯り夜桜見物の人々で賑わっている。

山は知る人ぞ知るパワースポットとしても有名らしく、山の中に入ってゆくと街の喧騒は消え、気温が一度くらい下がるような、スッと空気が変わるのを子供の頃から感じていた。
母の生家には祖母亡きあとも霊園管理の職を引継いだ叔父一家が住んでおり、いつも墓参りの際には立ち寄り、水を運ぶ手桶や柄杓を借り、お供えの花や線香もそこで買っていた。
昼間でも陽が差さず薄暗い古びた木造家屋の縁側や、畳に染み付いたような線香の匂いを今でも思い出す。華やかなものが好きだった母が、陰気な雰囲気のこの家に結婚するまで暮らしていたというのは、子供心にもちょっと意外な気がした。

そんな御山で生まれ育った母の子供の頃の遊び場は、墓場だったという。
3、4歳頃までは周囲に民家もあり近所の子供達と遊んでいたらしいが、区画整理で母の家以外はみんな山から立ち退き、幼い母が友達と遊ぶためには30分以上かけて山道を降りて行かなければならなかった。
だからあまり天気の良くない日や、家族が帰って来るまでの少しの間は、一人お墓で遊んでいたのだという。
一つ一つの墓前に摘んできた野の花をお供えしたり、たまに知らない人のお墓のお供え物をおやつとして食べたり(おいおい…)"お墓参りごっこ" というのもしていたそうだ。
昔は土葬も多かったため、人魂もよく見たという。
これは人体に含まれるリンが空中に出て光っている現象という説もあるらしいけれど、「青白い火の玉はきれいだった」と言う母にびっくりしたものだ。

母が7歳の頃に祖父は病没し、祖母は霊園管理の仕事の他に平日は外に働きに出ていた。母はすぐ上の姉とも10歳以上離れており、兄弟は皆んな嫁いでいたり社会人だったので、物心ついた頃には近くに遊び相手もなく、家に一人ということも珍しくなかったという。
たとえ幽霊でも、誰か側に居てくれたなら寂しくなかったのかもしれない。

そんな環境で育ったせいか、母はいわゆる見える人で、子供の頃は何度も "この世ならざるもの" に出会ったという。
夕暮れの墓地で、姿を持たない影たちと一緒に遊ぶ、おかっぱ頭の少女の姿が思い浮かんでくる。

祖母は母が16歳の時に亡くなっているが、亡くなる前の晩に家の周りを何度もぐるぐると歩き回る足音がしていたという。
六人兄弟の末っ子として生まれた母をとりわけ祖母は可愛がっており、まだ未成年の娘を残して逝くことが心残りで、旅立つ前に、家で留守番していた娘に一目会いに来たんだろう、と母は言っていた。
母はそういう様々な体験をしても「ぜんぜん怖くなかった」そうで、ごく自然な事として受け止めていたようだ。


すでにその母も、祖母と同じ病気でこの世を去った。
あの霊園の中にあった家はどうなったのか。
母の兄弟である叔父・叔母も全員亡くなり親戚づきあいも途絶えた今は、知る術もない。



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