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小説「ののはな通信」三浦しをん〜忘れ得ぬひと

今作は、1980年代に横浜のミッション系女子校で出会った、二人の女性の物語。
"のの"こと野々原茜は、クールで頭脳明晰だが、同級生に比べて家は経済的に貧しく、自分が分不相応なお嬢さん学校に通っていることに、どこか引け目を感じている。
いっぽう牧田はなは、天真爛漫な帰国子女で、外交官の家に生まれ育ったお嬢様だが、勉強は苦手で、東大以外は大学じゃないという父親のプレッシャーがある。
育った環境も性格も正反対な二人は、何でも話せる親友から、やがて友達以上の感情を抱くようになり、互いに思いを打ち明けあい恋人同士になるのだがーーー

三浦しをんさんの小説は、かなり昔に「舟を編む」を読み、「まほろ駅前多田便利軒」はドラマが好きで後から原作を読んだ。
今作「ののはな通信」は、切手をコラージュした文庫本の表紙カバーからして乙女で可愛らしく、私が読んでいた2作とは全く違った印象。
往復書簡という形式を取っていることもあり、1章は文体や展開も含めなんとなく80年代に流行ったコバルト文庫などのラノベっぽさを感じてしまい、ののとはな二人の関係に大きな影を落とすことになる、ののがとったある行動は、それも10代特有の好奇心と浅はかさゆえなのかもしれないが、毛嫌いしていたヤバイ男性教師にわざわざ自分から近づいて行ったという点が、私にはちょっと理解し難かった。野島伸司・脚本のドラマ「高校教師」ばりの展開にも 苦笑。
しかし2章の20代、3章の40代になるにしたがい二人の語り口や振る舞いも年相応に変化していったので、自然と二人の年代や時代感を読者に感じさせる手法はなるほど、とも思った。

私も女子校育ちなので、あの頃の学校風景や級友たちの顔がぼんやりと浮かんできたりもしたが、その頃の私は幼く恋なんて全く縁もなかった。
しかも高校生活は退屈で早く田舎町を飛び出したかったし、予行演習はズル休み卒業式前日まで学校を辞めたかったくらいなので、ハラハラドキドキ、時に切なさや苦しみも含めて、ののとはなの高校生活が眩しく感じられた。
同じ女子校といっても、当時の都会と地方では今と比べてかなり格差があるとも思ったが、ののとはなは自分と同世代なこともあり、グリコ・森永事件の”かい人21面相”、昭和の終わり、バブル景気など当時の世相も思い出された。

物語は10代の女の子同士のたわいもない会話を記した手紙から、後半になるにつれどんどん思いもよらない壮大な展開になり、息を呑み途中でやめることが出来なくなり一気に最後まで読み切ってしまった。
私も思わず "ゾンダ共和国" をググッてしまった一人(笑)架空の国とは思えないほどリアリティがすごい。
何の前情報もなく読み始めたので、10代の二人から四半世紀ものあいだ面々と続いてゆく物語に驚嘆した。
たしかにこれは、二人の女性の大河ドラマとも言える。


10代という若さで、絶対的な愛を知ってしまった二人。
その人と一体になってしまいたいと熱望するような、離れてもまた引き合うように繋がってしまう、生涯忘れ得ぬ、運命の人と10代で出会ってしまったということが一体どういうことなのか、物語を通し、ひしひしと伝わってきた。
もう自分の人生にはその人以上に激しく純粋に愛せる人は現れない、自分の中で二度と取り戻せない大きなものを失ってしまったと感じながらも、それぞれの人生を歩み、その後20数年の時を経て、また二人は文通を再開する。
10〜20代前半は手紙またはハガキだったのが、40代ではメールになっているところも、時代の流れを感じさせる。
10代、20代の頃は無邪気で残酷ともとれる自分本位なところもあったはなが、外交官夫人となり夫と共に世界各国を渡り歩くうちに、40代では自由奔放でありながら利他の心を持つ意志の強い女性に成長していて、理知的で大胆な面もあり早熟だったののの方が逆に、はなに驚かされ圧倒されることの連続になるところも、それまで二人が辿ってきた道のりの違いを感じさせた。

しかし私は、終盤に於けるはなの突拍子もない決断と行動には賛同できなかった。ののが言うように他にも方法はあったのではないか、と思ってしまった。

40代で交流が復活したといっても、二人は最後まで面と向かって会うことはない。
しかし二人の間には、たしかに、深い魂の交歓があった。
そして2011年、東日本大震災が起こったあと、そこで二人のやりとりは終わっている。

二人はその後どうなったのか…
思いを馳せてしまうラストに、余韻が残った。



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