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三浦春馬 映画「真夜中の五分前」~エトランゼ・異邦人

ずっと観たかった「真夜中の五分前」。やっと日本からDVDを送ってもらい観ることが出来た。本当は映画館で観たい作品だけれど、海外生活の身では難しいのでホームシアターで鑑賞。

上海〜静謐な映像美と音の世界

ステンドグラスの窓から漏れる陽の光、壁に掛かる沢山の柱時計の影、間接照明だけの仄暗い室内、光と影の対比を捉えたような一つ一つの映像がとても美しい。
セピアがかったノスタルジックな色調のフィルムがヨーロッパ映画を観ているようで、その世界観に春馬くんは見事に調和していた。
フィルムの中の春馬くんをもっと観たいと強く思った。
冒頭の、洗濯物が干され古い建物が立ち並ぶパリの下町のような路地を、バイクで走リ出す春馬くんの姿が目に焼き付いている。
上海はかつて東洋のパリとよばれ外国人居留地だったこともあり、ヨーロピアンな街並みが残されアジアではないような異国情緒がある。行定監督が初日舞台挨拶で、上海を舞台にしていなかったらこの作品はこんなにミステリアスにならなかったと言っていたのがよく分かる。
普段の上海は喧騒に溢れているけれど、行定監督がサウンドメイクを依頼した台湾の音響監督ドゥ・ドゥチー(杜篤之)さんは、静寂を作り出したという。
時計の振り子や秒針が動く音、揺り椅子の軋む音、静かでゆったりとした時間の流れを音で感じさせてくれた。
ホウ・シャオシェン(侯孝賢)、エドワード・ヤン、ウォン・カーウァイ、昔は台湾ニューシネマや香港ニューウェイブとよばれた監督の作品も好きで沢山観ていたが、ドゥ・ドゥチーさんがこの錚々たる監督たちと組んでいたとは知らなかった。

エトランゼの良とルオラン

こんな囁くように静かな中国語を聞いたのは初めてかもしれない。フランス語みたいな響きに聞こえる。
私が暮らす国にも中国人移住者はかなり多いが、皆もっと大きな声で騒々しくわちゃわちゃした感じで話す。調べてみたら上海語というのがあるらしく、春馬くんは撮影前から日本で北京語を習いさらに現地で上海語のニュアンスまで勉強したそうで、時計修理士の役作りも含め、表現のためには徹底して努力を怠らない姿勢に頭が下がる。そして、全編中国語でたぶん丸暗記した台詞を話しているのに、日本語の時と同じようにちゃんと感情や心情がその言葉使いから伝わってくることにも驚いた。
相手の言っている言葉が分からなかったり困った時、良が思わず日本語で呟いてしまうところは、自分もそうなってしまうので重ね合わせて見てしまう。異国での暮らしは、言葉や生活習慣を含め孤独を感じることも多い。
内省的な良は、いつもどこか物思いに沈んでいるようで、亡き恋人がしていたように今も時計を5分遅らせたまま。
そんな性格を表すように、いつも猫背で前屈みの姿勢、俯きかげんに話すちょっと不安げな表情。春馬くんは役によって歩き方や佇まいまでガラっと変わり別人になってしまうのが本当に凄い。この役がラスシンの広斗のすぐ後だなんて全然想像できない。
世界に追いつける程度の5分。ーー僕だけが… 残された。
今はもうこの世にいない恋人のことをルオランに語る場面の春馬くんは、薄く微笑み痛みを辿るようなまなざし。
私も その5分でルーメイと違う世界へ行けるかな
ルオランと良、二人が徐々に距離を縮めてゆく過程も胸を打つ。
夜に野外映画を観に行き、良が遠慮がちにルオランの手に自分の手を添わせ、やがて指を絡め手を繋ぐシーンはとても繊細で、観る者の心を震わせる。春馬くんはその美しい手の名演も多い。
キスしようとして不器用に二人の鼻がぶつかり、良に教えられルオランが日本語で ”ハーナ” キスした後に ”クチ” “ミミ”  互いの国の言葉で ”好き”と言い合うシーンは、身もだえする程キュンとした。
互いを愛おしく想う気持ちが言葉を超えた感情で伝わってくる。
外国人の恋人が自分の国の言葉を片言でも一生懸命話してくれるのって、とってもキュートだ。私事だがまだ結婚前付き合っていた頃の夫を思い出し、そんな時もあったねと懐かしい気持ちになった。

双子という合わせ鏡

双子という存在にはどこか不思議さを感じてしまう。
私の周りには子供の頃からけっこう双子がいて、小学生の時は同じ学年に双子の姉妹と兄弟の二組がいたが、どちらも相手と比較されるのを嫌い、いつも別行動で違う友達の輪の中にいた。
高校生の時は、他校にいる双子の妹と入れ替わり期末試験を受けたクラスメイトがいて大騒ぎになった。先生も周りの友達も誰も気づかず双子の企みはまんまと成功したのに、彼女はなぜか自分から種明かしして停学となった。とても謎な出来事だった。
この複雑で不可解な心理は、ルオランとルーメイにも当てはまるかもしれない。
同じ顔、同じ声、好きなことも好きになる人も同じ、お互いが一番の理解者であると共に永遠のライバルのようでもある。一心同体過ぎて、自分という存在が消えて無くなるような、脅かされているような感覚。
ルオランはルーメイで、ルーメイはルオラン。合わせ鏡のような二人。

姉妹が旅行中のモーリシャスでの海上事故のニュースをラジオで聞く良の部屋に、どこからか蝶がヒラヒラと飛んで来るシーンは印象的だ。
ヨーロッパでは、蝶には死者の魂が宿るとされ、蝶に姿を変え逢いに来るという言い伝えもある。あの蝶は、ルオランだったのか、それとも…。
泳げないルーメイが助かり、泳げたはずのルオランが亡くなる。

ここからは私の個人的な見解だが、海上事故が起きた時、どちらかがどちらかを故意に助けなかったということはないだろうか?
自分だけの自分になるために。
私は、生き残ったのは実はルオランじゃないかと思っている。
”たまに入れ代わればいいじゃない。その方が2倍人生を楽しめるでしょ?”と言っていたルーメイ。ルオランは、今までルーメイに奪われて来た人生を取り戻そうと、ルーメイとして生まれ変わろうとしたのかもしれない。
しかしそう考えると、また愛する人を失ってしまうことになる良を一人残し、ティエンルンの元へ行くことに、ルオランはためらわなかったのだろうか…。
“病院で目覚めた彼女は、あなたの手を握った。ーーそれが全てだと思います。” と、ティエンルンにめずらしく感情をぶつける良。
しかしルーメイの夫ティエンルンは、ルオランがルーメイに成りすましているという疑いが拭えず、やがて二人は離婚してしまう。
もし本当に生き残ったのがルーメイだったとしても、自分の片割れを亡くしたルーメイもまた一生ルオランの影から逃れられないのかもしれない。
行定監督が、リウ・シーシーさんはルオランとルーメイを演じ分ける時に笑い方を少しだけ変えていて驚いたと言っていて、これはヒントになるかもしれない。

ルオランかルーメイかの考察で盛り上がったhoofさんの記事もオススメです。

DVDの本編特典に収録されている行定監督によるオーディオコメンタリーについて、ももんさんの記事で詳しく取り上げています。そちらも違った視点で作品を楽しめます。

運命の時計

物語の中で、時計がとても効果的に使われていた。
ルオランはルーメイへの婚約祝いを良に選んでほしいと頼み、良が修理した古い置き時計を贈ったが、「中国では時計は贈らないの。”時計を贈る”と”死者を看取る”は同じ発音だから。」と、ルーメイに言われる。ルオランも知らない筈はないのになぜ置き時計を贈ったのか?
良は自分の作った腕時計をルオランにプレゼントするが、その時計の針もやはり5分遅らせてある。

良は、生き残ったルーメイに少しづつルオランを重ねてゆくようにも見える。以前ルオランと訪れた野外上映にルーメイと行き、手を繋ごうとしてためらう場面は胸が詰まる。
ベッドの縁に腰掛けルーメイの寝顔を眺める良。青い光の差す部屋で、濡れた瞳に哀しみを湛えた春馬くんの苦悩する表情が、切ないほど美しい。
独りにしないでと良の背中に触れるルーメイ。見つめ合いどちらからともなくキスを交わし抱きしめ合う二人。泣き出すルーメイの名を呼ぶ春馬くんの声は、暗がりでくぐもるように温かく響く。
私は、ルーメイじゃないの?
迷宮に嵌まり込んでしまったような二人は、これからどこへ行けるというのか。

1年前にルオランと訪れたモーリシャスの教会へ再訪し、ロザリオと交換に置いていった腕時計をもう一度取り替えるルーメイ。
ロザリオと腕時計を交換したのはルオランだったはずだが…。
慈悲深いまなざしのマリア像だけが真実を知っている。

ラスト、モーリシャスから戻って来たルーメイが残していったルオランの腕時計に気づき外へ飛び出す良。時計店の時計が0時の鐘を鳴らし、良が握りしめていた腕時計を見るとそれはもう5分遅れではない。立ちすくむ良。
振り向いた女性は、誰なのか?謎めいた表情のアップで物語は終わる。
それはルーメイ、ルオランどちらであっても、私を愛し続けることができますか?という良への問いかけなのかもしれない。
それとも、ルーメイとルオランの二人が混ざり合い、新しい自分となった旅立ちなのだろうか。

観るたびに見方が変わってゆく。最後は観る者に委ねるストーリーだ。
自分はいったい何者なのか?という問いは、上海で暮らす日本人の良も抱えている問題かもしれない。

そんなことを考えながら、物語の余韻に浸った。
夜、一人静かに味わいたくなる映画だった。

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