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読書記録29『本屋さんで待ちあわせ』三浦しをん

こんにちは、だるまです。都市関係の本ばかりで頭が煮詰まってきて、小説も読みたい!となり貪るように本を読んでいる次第です。

次に読む本の見つけ方

次は何を読もうか、どう決めていますか?

だるまの次の本の見つけ方は、主に2通りあります。

1つは、読んでいる本の中で紹介された本や、関連する本を探す芋づる式。もう1つは、書評集、本紹介本を読む方式です。

今回は2番目の方式で読んだ『本屋さんで待ちあわせ』を紹介します。

読みたくなった本の紹介というよりは、エッセイとして好きだった部分の紹介です。

好きだった部分

①「キュリー夫人の暖房術」より

ひとつのことを持続して行いたいとき、最も有効なモチベーションは「好奇心」なのではないか。
研究していても、完全に謎が解けるということはなく、むしろどんどん知りたいことが増えて、好奇心が底をつかずにすむ。
逆に言えば、好奇心が尽きないようなものに興味を抱く感性を持った人が、研究に向いているのだろう。

「好奇心」とはなんだろう?

と考えていたところにどんぴしゃりと現れた文章。

好奇心の源や原因について触れたものではないですが、研究の真髄について語っていていいなと思いました。
「人のため」とか「お金を得るため」ではいつか途絶えてしまいますが、「気になるから」「知りたいから」という心は尽きることがないと。

またしても、好奇心のそもそもが知りたくなりました。(好奇心そのものに対する好奇心)

②「求めるものに答えてくれる」より

最後の一編が本好きにとって秀逸な文章でした。少し長い引用です。

本を読めば人格が磨かれ、知識が深まり、情緒が豊かになるかというと、そうでもないことは我が身で検証済みだ。むしろ、家に籠る時間が多くなるので人見知りになり、脳内でこねる屁理屈だけは立派で、毒にも薬にもならぬ夢想に遊び疲れてさっさと就寝する。そんな人間ができあがる可能性が高い。

ぐさぐさと身に刺さるお言葉です。

だから、読書嫌いなひと、読書以外の楽しみを知っているというひとに無理に本を読めと勧める必要はないと、個人的には思っている。
読書は、限りある生を、より楽しく深くまっとうするための、ひとつの手段にすぎない。

そうなのです。本がどうしても読めない人に、読書は楽しいよ!読もうよ!と言うのは酷であると思います。もちろん、一緒に本の話ができることはとても幸せなことではありますが。

ただ、読書という手段もあるのだということも、いざというときのために胸にとどめておくのは、決して損ではないだろう。
本は、人間の記憶であり、記録であり、ここではないどこかへ通じる道である。特別な機械も作法も充電器も必要なしに、時間と空間を超えた異世界へ、私たちを連れていってくれる。

最後の一段落にほとんどヘドバン気味にうなずきました。電気がなくても昼間ならいつでもどこでも楽しめるのです。

インターネットの世界も無限に広がっていますが、本はただ文字にインクが染みついているだけなのに、奥行きのある世界が無数に無限に広がっています。

どちらが優れていると言いたい訳ではなく、本の奥に世界が広がっていることに気が付いた人は、その旅を楽しめる切符を持っているということなのです。

本を読もう!とは言わないが

三度の飯より、結婚より恋愛より、何より本が好きな筆者の偏愛ぶりは微笑ましいですが、そこまでいかなくとも、心の豊かさ、気分転換に本という手段があることは色んな人が知ってもいいのではないかと思います。

かしこ


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