「どうせ無理」、「死ぬつもりでやれ」って言葉が嫌い

ぼくは「どうせ無理」という言葉と「死ぬつもりでやれ」って言葉が嫌いです。
勿論一般的な細かいニュアンスは理解します。
ただ、それでも聞きたくないし言いたくない言葉でもあります。
なぜか。

一つ目は「どうせ無理」という言葉の恐ろしさについて。
勿論、無理なものは無理というニュアンスは理解できなくもありません。
100mを平均的な時間しか走れない人に「オリンピック級の速さで走れ」と言われてもかなり厳しいです。

でも、みんな一度は夢や期待を見るもんなんです。
「ああしたい、こうなりたい、これをやってみたい…」ジャンルは問わずです。
簡単なものから非常に難しいことまであります。
それを語る人に「どうせ無理」と放つ残酷さが苦手です。
簡単な言葉なんです。その5文字を唱えるだけで相手を全否定できます。
その人の夢、やりたいこと、なりたいもの、這い上がること」など。
勿論前述した通り一般的なニュアンスは理解しています。
でも言われた方はたまったもんじゃないはずです。少なくとも僕はたまったもんじゃない。

ぼくは趣味で総合格闘技をやっています。
さて、ぼくが北米の世界ランクの団体で戦いたいなんて言ったら大体「どうせ無理」と言われるでしょう。元々格闘技なんてのはコロッセオの時代から殺し合いです。
試合で勝てばどんな人でも天国、負ければ地獄で結果が全ての残酷な世界です。
だからみんな血の滲むような努力をしています。
それでも負けたら否定される。
そんな世界で戦う勇気は最初から持ち合わせていませんので、言いませんが仮にこれが夢だったとしたらなぜ5文字で否定されなきゃいけないのか、とムッときます。
この言葉は、それを唱えるだけで努力もしなくていいし、恐ろしい。
自分が自分に向ける「どうせ無理」も同じです。
最初からそれを言ってしまえば何もしなくて済みます。

元々、「やりたいことやなりたいことや夢を否定する権利」なんてのは誰にもありません。
責任さえ取れて、反社会的な行為じゃなければ、何を夢見ようが何になりたかろうが年齢も性別も国籍もなにも関係ないんです。自由です。

じゃあぼくが「どうせ無理」の代わりに使う言葉は、「だったらこうしてみたら?」と代案も必ず提示します。
例えば、本屋さんでこんな本があったよ。こういう制度があるよ。こうしたらいいんじゃない?
って言いたいです。

後ぼくは昔薬物乱用の経験がありますので、依存症について聞かれたら(やめたい、でもいいかな)
「どうせ無理」って言う代わりにまず精神科(出来れば薬物依存症や各種嗜癖症の治療に精通しているところを一緒に探します。

何故か。依存性ってキツいです。
多分タバコでさえ強烈な意志がないと辞めれません。病気だからです。
例えば高熱を出した人を抱きしめても熱は下がりません。おまえの根性がたるんでいるからだと叱っても熱は下がりません。
病気を治すのは医師という専門職の仕事だという前提がぼくの中にあるからです。


それと、そういう躓いた人、頑張りたい人、夢を持っている人」に対してよく使う言葉が
「死ぬ気でやれ」と言う言葉です。
精神論の極みで嫌いです。

死ぬ気でやったらたまに本当に死にます。
もう一度言います。本当に死にます。
働きすぎたら過労死、鬱などの二次障害が出てくる場合があります。
燃え尽き症候群もあります。

後、多分この言葉を多用する人は「死ぬ気でやれ」と言って本当に死んだら
「あいつは根性が足りなかったんだ」と言われておしまいな気がします。
絶対責任なんか取ってくれません。
そもそも死ぬ気でやるなんてのは自分が自分を奮い立たせる意味で使う言葉であって、他人に言われる言葉ではないような気がするのです。
叱咤激励も限度があります。
しかも本当に死んでしまったら身も蓋もありません。

頑張っている時、死ぬと本気で思ったら逃げるか休めばいいんです。生きてさえいればチャンスはあります。
絶対的な悪とはぼくは戦いません。
何故なら、絶対的な悪に立ち向かうときには自分も絶対的な正義にならないといけないからです。つまり、コインの面裏みたいなもので、同じに見えるんです。戦争もそうです。
どちらにも絶対的な正義があるから、残虐なことを正当化できます。
なんならぼくはあまり怒りません。喧嘩もしたくないです。
何故かと言えば、「怒り」っていうマイナスなエネルギーに支配されたに時人はカメラのピントを高倍率にしたような状態になっています。
そもそも怒って変わる事ならいくらでも怒って解決しますが、実際問題解決しないので、怒りません。
ぼくも、ムッとくることはあります。
そういう時は白黒じゃなくて灰色から入るとか、「相手は今何か抱えているのではないか?」という切り口から入ります。
感情的に切り返すことが少ないよう心がけています。
そもそも怒って解決しないのに怒りというマイナスなエネルギーに心が支配されている状態はかなりキツいはずです。
それを心に抱きたくないだけなのかもしれません。

話は逸れましたが、「どうせ無理」という前に代案を示し、「死ぬ気でやれ」という前に「死ぬことはない」という言葉で溢れて、たくさんの夢や目標で溢れた世界になればいいなと思っています。

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