受験の失敗とは関係ないけど、生まれた時から宗教の中で育つということ。
生まれた時から家は祈るのが当たり前の家でした。
母方の親戚もみんなそう。
地域や組織で集まっての時もあるし、
家でも毎日の習慣。
祈っていれば人生絶対大丈夫。
必ず幸せになる。
そう言われて育ってきた。
実際、そう言われて育った私は、
「そっかあ」とわりと素直に幸せな感じで育っていると思っていてね。
まあ偏った宗教観の家ではあるけれど、
それはそれで育ててもらっているのだからと
中学生、高校生活、自分なりに楽しんでいた。
挫折したのは大学受験。
第1志望校に落ちた。
第2志望で受かっていた近くの短大に行くことになった。
そう報告したら、父親がその入学金を自分が使ったと言った。
家族はみんな「え??」とかたまって、
私の未来はそこでポッキリ折れてあの時なんだか終わってしまったのだと思う。
コミニュケーションが取れる家族ではなかったので、私にとって第1志望校が難しいトコなんだよと伝えてなかったのね。
そして、ウチはあんまりお金がない上に両親とも進学とかよく分かってなくて。
進路とか子供の未来とか、
そんなところまで考える余裕がなかった。
私自身もあまり希望も持ってなかったのかもしれない。
もしくは祈ってるから奇跡で第1志望受かっちゃうと思っていたかもしれない。
第2志望の願書なんて、
心配した担任の先生がプレゼントしてくれたのです。
両親より現実的でありがたい助言だった。
今思えば、自分の投げやりさにもツッコミどころ満載。
他力本願。
神頼み。
それでも、自分なりに頑張っていれば神様は助けてくれると思っていたんだなあ。
普通の家とはどうも違う「宗教」という価値観にのめり込む家族。
働くのが嫌いでなかなか仕事が続かない父親、
それを苦労しながらなんとかやりからしていた母、
コミニュケーション障害だった弟。
取り繕いながらもなんとか自分の未来は確保出来たらいいなと自分なりにやってきて、
「あ、もうダメだ」
ワタシノジンセイオワッタ。
あの時の感覚を、
あれから人生でずっと繰り返している。
抜けられない。
私は18で止まってしまっている。
何度「やっぱり頑張ろう!」と思っても、
どうしても自分の人生を投げやりに扱っているのが分かる。
正直、
いつまでそんなこと引きずってるのかと。
何度も何度も何度も思った。
なのに人生のほとんどを、
あの時の絶望に使っている自分が本当に情けなくて。
ここから抜けたいのに。
「抜ける!!」
「もう絶対抜ける!!」
そう思っていても、
抜けるのが怖い。
こんな所にずっといた自分が抜けてやっていける自信がない。
なのに家族はみんな言う
「祈っていれば大丈夫」
狂ってると思うんだけど。
いつもいつもいつも思うけど、
宗教が悪いんじゃなくてその捉え方なんだと思う。
揃いも揃って社会に適応出来ていない家族。
自分だけはなんとかと思っていても、
どうしても上手くいかなくてあちこち彷徨った人生。
でも今でも、
鬱が治るようにと家族が祈ってくれてる今でも思うんです。
「宗教なんてやってるからこんな人生になるのでは?」
今日も信じることと信じられないことの間の振り子が揺れる。
本気の本気で、人生の最後に幸せを感じる為に。
そう祈り続ける家族に、
逃げ場を失った自分に今日も静かに絶望する。
ここから抜け出すにはどうしたらいいのか。
1度は家を出て夢を追い、
失敗して戻ってしまった自分だからこそ、
鬱々している今は怖さばかりで、
そんな中、ひとつひとつ目の前のことをする。
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