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情報過多に対する、選択眼の必要性

会社のことを知ろうとして、たくさん調べたりしていると、色々な方向から色々な情報が入ってきて、何が正しいものなのか判断できなくなってしまいます。どうすればいいでしょうか?


何が正しくて何が間違っているか、本当のところ誰にも分かりません。
誰にとっても正しいことなんて存在しない、とも言えると僕は思います。

だからこそ、情報に対して「正誤」の視点で判断しないことが大切だと、僕は思っています。
じゃあ自分の意見や考えって、どうやって持てばいいのか?と思われるかもしれません。
ここからは僕自身の考え方ですが、自分の考えというものは常に「暫定的な仮説」あるいは、「暫定的な立ち位置」でしかないということです。

たとえば、死刑制度についてあなたはどう思うのか?という問いに対する僕の答えは、「僕は今は、反対という立場に立っている」という感じです。
論争(漢字の中に「争い」という言葉が入っていますね)というゲームにおいては、ディベート同様、どちらの立場に立って自身の側の主張を展開するかが大切です。
でも、普段のコミュニケーションにおいては、基本的には中立的な立ち位置に立って互いを尊重し会うことが重要だと思うのです。
何が正しいかの判断を下すことをひとまず先送りしておいて、相手がどのような立場(立ち位置)に立っているのかを知るために耳を傾け合うことが、建設的なコミュニケーションの秘訣だと思います。

まずは「本当にそうかなー?」と疑問を持ってみる。疑問を相手に投げかけてみる。あるいは自問自答してみる。そういうものかもしれないなー、あるいはそういう考えもあるのかもしれないなーと、仮説として引き出しにしまっておく。
正しいか間違っているかを判断することよりも、このように全ての物事に疑問を持ち、仮説として暫定的に引き出しにしまっておくというような態度を身に着けることの方が大切だと、僕は考えています。

ちょっと余談ですが、正しいか間違っているかではなく、怪しいか怪しくないか、という「直感」は大切にする方がいいと思います。