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知ることってそんなに大事?

人や物事を「知ること」「知ろうと努力すること」は、とても大切だと思います。ですが、どんなに頑張っても、完全に「知る」ことは出来ないと思うし、どんな人だってどんなことだって、ずーっと同じじゃなく、変わるので、結局知ろうと頑張っても無駄になっちゃうんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか?

僕も全くその通りだと思います。
人も、あるいは会社とか、色々な物事とか、そういうことを「完全に知る」なんてことは、絶対にできない!
僕もそう思います。ホント、そうだよね。
もしかしたら、「知ってるよ!」ということかもしれませんが、今から約2500年前、だいぶ前だねー、古代ギリシャの哲学者ソクラテスが、こんな言葉を残しています。

「無知の知」
(最も賢い者は、自分が「知らない」ということを知っている)

「知らない」ということを知ること。
あるいは、「知らないという姿勢を示すこと」は、古今東西、今も昔も、東も西も、賢者の証です。賢者、「賢い人」の証だと言われてる。
いくら想像して、沢山たくさん、知る努力をしたとしても、僕たちはやっぱり、無知だし、無力だと思います。
でもね。それでも僕は、知ろうとする努力を続けたいと思う。
たとえ「何もわかっていなかった」っていう、無力感に苛まれたとしても、諦めないで「知る努力」を続けようと思うわけです。
まぁ、無知で無力かもしれないけど、それでも過去と比べたら、少しは変化、成長してるはず。誰だってね。

相手に愛着を感じ続ける努力。
僕は、個人的には、ここがすごく大事だと考えています。
たとえば、家族。
家庭っていう場所は、家族みんなが、安心して帰ってくることができる「シェルター」のような場所じゃなきゃダメなんじゃないか、と思っています。
ただし、家族の誰にとっても、そんな風に感じられる場所をつくるためには、家族であっても、いや、家族であるからこそ、互いに気遣い合うことが大切だと思う。
夫婦であっても同じです。結婚したからといって、そこはゴールじゃないと思う。夫婦でも恋人同士でも、親子でも、相手を想像し続け、知ろうとし続けることは、とてもとても大切だと思うわけです。たとえ「何もわかっていなかった」という無力感に苛まれたとしても、相手に目を向け、耳を傾け続けることを諦めちゃいけない!
少なくとも僕は、そんな風に考えています。
ちょっと大変だなー、と思っちゃうかもしれませんが、でも、ここを忘れないことが、人生を豊かにする秘訣でもあるんじゃないかなー、と、僕は思います。
ぜひ、前向きに、チャレンジしてみて下さいね!