モリジロウ

天理教の歴史や制度について研究しながら、神の望む世界とは、人間はどう生きるべきなのか、…

モリジロウ

天理教の歴史や制度について研究しながら、神の望む世界とは、人間はどう生きるべきなのか、いろいろ考えています。宗教関係の話だけでなく、思いついたことも書いています。気軽にご意見やご感想をいただければと思います。筆者への問い合わせは「ichimonji391@gmail.com」まで

マガジン

  • ジロウ閑話休憩

    記事を書く間に、思いつくまま書いているただのボヤキです。

  • 小説「人間の一生」

    ジロウの実体験や思っていることなどをもとにした小説です。テーマは宗教、愛、異文化などで、一人の男の一生という形で書かかれています。

  • 私の「茨木基敬」考

    天理教教会本部の本部員であり、北大教会初代会長でもあった茨木基敬についてまとめたものです。過去に例のない異端として本部員を罷免された天啓者の話です。天理教の歴史を知るうえで外せない異端事件です。

  • 私の「中山松枝」考

    教祖の長男秀司さんの正妻「中山松枝」さんについての考察

  • 戦後の「復元」の教理について

    第二次世界大戦後、天理教では「復元」を行った。それについての考察

最近の記事

「死ぬなら、がん」というのは案外…

はじめに  インターネットの記事で『じつは「老衰死」は悲惨…医師たちが「死ぬならがん」と口をそろえて言う「意外なワケ』という記事を読んだ。それでいろいろ思うところもあり、自分なりの意見を書いてみようと思った。自分の親も最後はガンが見つかり、最後まで看取った経験からも、必ずしもガンが悪いとも思わなくなったからである。 『じつは「老衰死」は悲惨…医師たちが「死ぬならがん」と口をそろえて言う「意外なワケ』 https://news.yahoo.co.jp/articles/b8

    • 不登校も出社拒否も、ただ居場所がほしいだけなのか

      イキイキと生きているか  どうしたら人はイキイキと生きていけるのだろう。世の中には学生さんの不登校や、社会人でも出社拒否とかがあるが、結局は自分の居場所が普通にあればいいだけの話なんじゃないかと、ふと思った。何らかの理由でその居場所に居られなくなったから、そうなるのであり、理由も千差万別だろうとは思うが、心に痛みを抱えたまま、先に進めないでいるような人が多いようにも思う。  どうしてこんなことを記事に挙げるのかというと、自分にもそんな経験があったからであり、運よく?幸いに

      • 映画「マイ・インターン」を見て

        はじめに  勧められて映画「マイ・インターン」を見た。2015年に公開された作品のようだが、けっこうおもしろかった。今の職場で若い社員さんが社長さんに見るように勧められたようで、たまたまその感想を休憩時間に私に話してくれた。まったく映画なんて、話題作で見たいと思った時しか見ないし、興味もなかったのだが、少しあらすじを聞いて驚いた。その社員さんに思わず、「ちょっと、その主人公って私と同じじゃないの?」と言ったのだが、頷いて、更におもしろかった場面を話してくれた。そんなこともあ

        • 「終活」について

          はじめに  仕事を長く続け、定年退職をし、第二の人生として「就活」をして働き始めるが、その後に今度は「終活」が待っている。「そんなものまだ先の話だ。」と思っていたりもするが、自分の人生を90年とすれば、既に2/3は終わっており、残り1/3に既に入ってしまっていることを自覚すると、やはり、どうしても「終活」という言葉が頭をよぎるようになってくる。 終活のイメージ  「終活」というと、一般にどんなイメージを持っているだろうか。要らないものを捨てるとか、自分が亡くなったあとに

        「死ぬなら、がん」というのは案外…

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        • ジロウ閑話休憩
          18本
        • 小説「人間の一生」
          13本
        • 私の「茨木基敬」考
          3本
        • 私の「中山松枝」考
          3本
        • 戦後の「復元」の教理について
          3本

        記事

          それにしても連日の猛暑にはうんざりです。あまりの暑さに言葉が出てこないし、文章をまとめる気にもなれないですね。エアコンの効いた部屋で冷たいものでも飲みながら……といきたいところですが、貧乏暇なしの境遇でやってきた自分には、とてもとても…。染みついているんですね…。

          それにしても連日の猛暑にはうんざりです。あまりの暑さに言葉が出てこないし、文章をまとめる気にもなれないですね。エアコンの効いた部屋で冷たいものでも飲みながら……といきたいところですが、貧乏暇なしの境遇でやってきた自分には、とてもとても…。染みついているんですね…。

          夏のこどもおぢばがえりに思う

           コロナの影響もあったが、また夏の「こどもおぢばがえり」が開催されている。昨日、天理教教会本部神殿前の旧黒門があったところを朝と夕方にクルマで通った。朝はそれなりに子供の姿も見えたし、陸橋近くの駐車場も昇降する引率の人たちらしき人の姿も見かけた。  しかし、夕方6時すぎに通った時には人影も少なく、以前ならパレードで渋滞になっていたのに、拍子抜けするくらい寂しい感じであった。おぢばがえり最初の日曜日でこんな様子では、かなり少ないのではないかと感じた。      振り返ってみれ

          夏のこどもおぢばがえりに思う

          第二回ようぼく一斉活動日

           教祖140年祭へ向けての年祭活動として行われている「ようぼく一斉活動日」に参加してきた。日本中のあちらこちらで会場が設けられているようだが、天理支部の本部会場へ行ってきた。本部の第二食堂・第五食堂で行われていたようだが、イス席もあるということで第五食堂の方へ行った。  昔、修養科に入っていた頃、昼食を取っていた食堂だから懐かしい感じもする。駐車場から会場へ行く時に見たが、旧炊事本部が解体されていた。  会場では担当の人がしきりに第1回目の城法大教会での不手際のお詫びを繰り

          第二回ようぼく一斉活動日

          ジロウ閑話休憩…17

           天理教では亡くなることを「出直し」と言っている。出直しと生まれ変わりで、古い着物を脱いで新しい着物を着て、この世に生まれかわってくるという教えである。身体は神からの「かりもの」であり、魂は自分のものである。  話は変わるが、同級生の訃報が入った。まだ若いし、これからじゃないかとも思うが、病気だったと聞いている。古い着物を返して、また生まれ変わってくるのだと思うが、現世で悔いは残っていなかったのだろうかとか、いろいろと想像してしまう。自分自身は多少、あちこち体にガタは来てい

          ジロウ閑話休憩…17

          頭のいいやつ、悪いやつ

          頭がいい人はいる  世の中には頭がいいと言われる人がいる。何を基準に頭がいいと言えるのか曖昧だが、相手に「頭がいい人だなあ」と思わせる人がいるのは事実だ。機転が利くとか、計算が早いとか、知識が豊富だとか、いろいろ要因はあるのだろうが、学歴だけで頭がいいと判断するのはどうかとも思う。  確かに有名な国立大学を出ているような人は話をしていれば、頭がいい人だなあと思わせることもある。豊富な知識と、それを元にした興味深い話などを聞いていると、「やっぱり自分とは違うなあ。うらやましい

          頭のいいやつ、悪いやつ

          天理教の葬儀の祭儀式の一部変更

          祭儀式の一部変更  天理教の葬儀は出席した人なら知っていると思うが、玉串奉献があり、一般参列者も玉串を御霊さまに捧げて遥拝をする。そういうものだと子供の頃から見慣れていれば、違和感を感じることもないだろう。しかし、教会本部の方から通達があったようで、「祓」「玉串奉献」を廃止することになったようだ。服装に関しても斎服であったが、無い場合は教服でもいいようになったようだ。 葬儀のあり方  新型コロナで一気の世の中の葬儀も、大勢の人で行うのではなく、家族や故人に近い人だけで行

          天理教の葬儀の祭儀式の一部変更

          本当の信仰

          「本当の信仰」とは?  本当の信仰とは何だろうか?皆が疑問を持ったり、どうすることが本来なのかと、一度や二度、考えたことがあるのではないだろうか。恐らく今、これを読んでくださっている方は何かしらの宗教に属している、或いは、家の信仰があり、代々受け継いできている方なのかと想像している。  宗教二世問題なども取りざたされているが、生まれた時から親の信仰で、自然と信者になっていたとか、宗教は嫌いだと言っても、親族一同が信者なので、離れるに離れられないといったケースも多いのではな

          すべてのことは「運命」なのだろうか?

          衝撃的なニュース  元旦に起きた能登地震で、一度に家族皆を失った人のニュースを読んだ。Tさんの妻、子供四人、そして集まっていた親族が全員亡くなってしまった。安否不明の中、一週間後には全員の死亡が確認されたという。あまりに残酷というか、そんなことが現実にあるのかと思うほど、衝撃的なニュースだった。心から犠牲になって亡くなった方のご冥福を祈る。  元日から一週間、Tさんが祈るような気持ちでいたことは想像に難くない。家族を失うにしても事件などであれば、怒りの矛先を犯人に向けるこ

          すべてのことは「運命」なのだろうか?

          大教会からの通信を読んで

           今年も残すところ、あと二日となった。仕事も休みに入り、家の用事ばかりしているが、郵便配達のバイクが止まったので、郵便ポストを覗いてみると大教会からの通信が入っていた。巻頭には「年祭活動の~」とか「教祖の道具衆として~」とか「実働を~」とか、全く年祭前ごとの定型文のような文言が綴られている。  初めて読んだ人や信仰の浅い人にとっては、心に響くところがあるのかもしれないが、歳を取り何回も年祭を迎えたことのある人には「またか…」というような気持になってしまう文面が多いように感じる

          大教会からの通信を読んで

          もう師走か…。

           すっかり更新を怠っている感じがあるが、いつもチェックしてくださっている皆様に申し訳ない気がする。確かに仕事が忙しいということもあるのだが、日々の暮らしの中で、いろいろと新しく接する人が増えたことや、新しい経験がいろいろあり、そこからいろいろと感じることもあり、いつかこのNoteに書こうと思いながら過ごしていた。  喪中はがきも届く時期になり、親が永眠いたしましたという内容を見て、人の営みとして避けては通れないものなのかとも思いながら、何年、何十年前に既に永眠した親のことを

          もう師走か…。

          食事は一人で食べるより…

           仕事で帰りが遅くなり、夕食も仕事先で済ました。家に帰ると、家内が一人で面倒くさいから、スーパーで弁当を買って食べたとのこと。普段、スーパーの総菜ばかり買っている人や、あまり料理もしない人のことを、やれ栄養が偏るとか、料理もしないとか、何かと批判的に言うが、私に言わせれば同じレベルだと思う。(口には出さないが…)  私が言いたいのはスーパーの総菜や弁当が悪いというのではない。忙しい時や、もう一品ほしいという時に便利であるし、人それぞれ事情もあるものだ。一人暮らしの人などは自

          食事は一人で食べるより…

          神殿回廊を歩きながら思ったこと

           時間もあり、すっかりご無沙汰している教会本部に参拝した。神殿回廊を歩きながら、いろいろな思いが溢れてきた。時間帯もあるのだろうが、ほとんど人はおらず、がらんとした印象を受ける。この回廊を何度、跪いて拭いたことだろう…。回廊から中庭を見ると、ほとんど人もおらず、祭典がない日に来ると本当に寂しい感じがした。  天理教の歴史を詳しく研究するようになってから、長い年月が経ったが、その調べたことが、いろいろと頭に浮かんでくる。神殿の回廊を歩きながら、神殿も教祖殿も立派な建物で、東礼

          神殿回廊を歩きながら思ったこと