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天理教の葬儀の祭儀式の一部変更

祭儀式の一部変更

 天理教の葬儀は出席した人なら知っていると思うが、玉串奉献があり、一般参列者も玉串を御霊さまに捧げて遥拝をする。そういうものだと子供の頃から見慣れていれば、違和感を感じることもないだろう。しかし、教会本部の方から通達があったようで、「祓」「玉串奉献」を廃止することになったようだ。服装に関しても斎服であったが、無い場合は教服でもいいようになったようだ。

葬儀のあり方

 新型コロナで一気の世の中の葬儀も、大勢の人で行うのではなく、家族や故人に近い人だけで行う家族葬が一般的になっている。大勢を集めて、ほとんど関係もなかった場合でも、義理や仕事の関係などで参列しなければまずいと、行かざるをえないような状況は、今では、ほぼ無いと言えるのではないだろうか。
 そのようなご時世で、どうしてこの度、今さらもって「祓」「玉串奉献」を廃止すると発表したのだろうかとも思えるのだが、詳しいことはわからない。ただ望ましい方向に変わったという印象を個人的には持っている。祭儀に関することは神道式であり、そのことについて述べ始めると長くなるし、天理教の歴史を調べている人ならよくご存じのことなのかもしれない。

玉串

 玉串に使う榊は今では手に入りにくいだろうし、一般的な花屋ではないところもあるだろう。天理市内の葬儀屋であれば、天理教式の葬儀もあるだろうから、榊を常備していることもあるだろうが、地方に行けば、事情も変わってくるようにも思う。それはともかく、これで榊を立てる台も必要なくなったし、儀式も簡素化していくのかと思う。教会の神具置き場の片隅の奥に「榊立て」もしまいこまれるのだろう。孫が見つけて、「おじいちゃん、これ何?何に使うの?」と老会長が昔を懐かしむように説明するのだろうか。


榊案

「祓」は神道の宗教行為で、天津罪・国津罪などの罪や穢れ、災厄などの不浄を心身から取り除くための神事・呪術である。(Wikipediaより)つまりこれで神道式の儀式めいたことはなくなるということなのかとも思うが、不思議なのは斎服が残っていることだ。いっそのこと教服に統一すればいいとも思うのだが、それも段階的に変えていくのだろうか。

お祓い

 月次祭での玉串は無くなって久しいが、葬儀に関しては残っていたので、今頃になって変えようとなったのだろうか?詳しい事情を知っている方がいらっしゃったら教えていただきたいものだ。(コメント欄にでもお書きください)三代真柱の告別式では参列者の玉串奉献があったのは記憶に新しい。しかし、それも今後、無くなるのだろう。

「御香典」「御霊前」「御玉串料」「御花料」?

 しかし、ここで問題が起こる。一般的には葬儀に行くのなら「御香典」とか「御仏前」「御花料」「御霊前」など宗派に合わせてお金を包んで行くが、天理教式では「御玉串料」と書くのが一般的だったと思う。これはどうなるのだろう?「祓」「玉串奉献」は廃止だとなっても、教会本部はそこまでは考えなかったのだろうか?それとも新たに通達を出し、お金を包むのは全部「御供」に統一するようにとでも来るのだろうか?

 習慣的なことは一つ変えてしまうと、付随していろいろなことに影響が出てくる。月次祭での玉串がなくなった時、祭主の後ろの二人の扈者(祭文と玉串)の片方が持つものも無くなり、拝礼をしたまま控えているが、それも名残なのだろうか。天理教式の葬儀では、やはり「御玉串料」と書いて出すのが、名残として、しばらくは続くのだろうか。このことからもわかるように、所詮は「ヒト」が決めたことに過ぎない。トップが独断で決めようが、合議によって、そう決まったとか言っても同じことである。神がそうしなければならないと「神の社」の口を通して、伝えたのなら話は別だが、組織の論理で変わっていくものなのかとも思える。

形式よりも大事なこと

 私にはもっと大事なことがあるように思えてならない。形式的なことは変わっていく。しかし、葬儀の場合、故人に対する思い、その家族に対する思いやり、配慮が最優先されるべきことなのではないかとも思う。いずれまた葬儀にいくことがあるかもしれないが、「御玉串料」と書くべきなのだろうか?そもそも玉串廃止と打ち出されたのにおかしなことだ。ご意見があればコメント欄に宜しくお願いします。

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