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もう師走か…。

 すっかり更新を怠っている感じがあるが、いつもチェックしてくださっている皆様に申し訳ない気がする。確かに仕事が忙しいということもあるのだが、日々の暮らしの中で、いろいろと新しく接する人が増えたことや、新しい経験がいろいろあり、そこからいろいろと感じることもあり、いつかこのNoteに書こうと思いながら過ごしていた。

 喪中はがきも届く時期になり、親が永眠いたしましたという内容を見て、人の営みとして避けては通れないものなのかとも思いながら、何年、何十年前に既に永眠した親のことを思い出す。親との別れは辛いものなのかもしれないが、時間が心を癒してくれるようにも思う。
 御霊様の前で毎日、ご挨拶申し上げ、心の中で「お元気ですか?お陰様で僕は元気にしています。まだそちらへ行くのは先だけど、それまで精一杯やれることをやっていきます。」とつぶやく。

 
 信者さん宅の講社祭があるので、祭文を書かなきゃと準備をするが、毎年、去年はどんなことを書いていたのかとパソコンの中を探してみる。定型文のような部分もあるが、だいたい一年を振り返って毎年書いているようにも思う。

 これの奥床に御鎮まり下さいます親神天理王命の御前に〇〇〇謹んで申し上げます。
 親神様の果てしなく深い親心と厚きご守護のまにゝ、日々を無難にお連れ通りいただく中に、本日は早くも本年納めの御祭りを執り行う日柄となりました。思い返せば本年は新型コロナウィルスも終息に向かい、日常生活も落ち着き、以前のような暮らしに戻れたように存じます。
 しかしながら、ウクライナやイスラエルでの紛争は解決せずに世界の国々が影響を受け、混乱した一年だったようにも存じます。お見せ頂いた出来事から、我々、人間に心の立て替えをおしこみくださっているものと受け止めております。
 これらの社会情勢の中、人間が陽気ぐらしをするのを見て、共に楽しみたいとお急き込みくださる親神様の御心を思い、誠の心でこれからも歩ませて頂く所存でございます。
 お陰様で本年も無事にお連れ通りいただくことができましたご守護のほどは誠に有難い限りでございます。只今より一同心を合わせて陽気にておどりを勤めさせていただきます。
 今年一年に賜りましたご厚恩を重ねて御礼申し上げるとともに、来る年には、世界中の人々が平穏な日々を取り戻し、互いに助け合い睦み合う世の様へと一日も早くお導きくださいますよう一同と共に謹んでお願い申し上げます。

十二月の講社宅の祭文

 駄文と言われそうだが、型通りに美辞麗句や定型文ばかり並べるよりは、ましだと思っている。形式を重んじ、型ばかりこだわって、真実はどこへ行ったんだ?肝心の神とのやりとりはどうなっているんだと、子供の頃から思ってきた。今年も

「信仰とは何だろうか?」

と考え続けてきた一年であったようにも思う。それだけに神は私に新しい人との出会いや新しい経験をさせ、いろいろと深く考えよと導いてくださっているようにも感じるこの頃だ。


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