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神殿回廊を歩きながら思ったこと

 時間もあり、すっかりご無沙汰している教会本部に参拝した。神殿回廊を歩きながら、いろいろな思いが溢れてきた。時間帯もあるのだろうが、ほとんど人はおらず、がらんとした印象を受ける。この回廊を何度、跪いて拭いたことだろう…。回廊から中庭を見ると、ほとんど人もおらず、祭典がない日に来ると本当に寂しい感じがした。

 天理教の歴史を詳しく研究するようになってから、長い年月が経ったが、その調べたことが、いろいろと頭に浮かんでくる。神殿の回廊を歩きながら、神殿も教祖殿も立派な建物で、東礼拝場も西礼拝場も本当に立派なふしんだと感じる。仮東、仮西神殿のころから考えると本当に立派なものだ。
 これだけのものを建てるのに莫大な金がかかっただろうし、これだけの立派な柱を立てるには樹齢何百年という大木を探さなきゃならない。

 ふと北大教会の初代で本部員であった茨木基敬のことが思い出される。茨木基敬については以前の記事『私の「茨木基敬」考』で書いてきたが、当時の本部員の中でも大正普請と呼ばれる神殿普請に反対を表明していた人物だ。「信者に必要以上の金銭的な負担をかけてはいけない。無理に寄付金を集めればその金には惜しいという埃がつく」と言っていたという。

 全くその通りであり、私自身もずっと以前から、そう思っていた。無理に集め、「惜しい」という埃がついた「お供え」を神は受け取らないのである。反対に少なくても、心を尽くして神の御用にお役立てくださいと出したお供えは受けとると言える。それだけでなく、「一粒万倍」にして返してくれる。私自身はこのことが真実だと感じている。還暦も、とっくに過ぎ、あと何年生きるのだろうという今、感じていることである。

 「茨木事件」と言われる本部員の神懸りから罷免になるまでの天理教にとっては大事件中の大事件であるが、今では知る人も少ない歴史の中で消えつつある(消されようとしている)出来事なのかもしれない。人が集まれば集団ができ、集団ができると派閥や権力争いなども起きる。宗教団体でも同じことである。所詮、人の集まりなのだから、避けては通れないのかもしれない。争うのではなく、心を開いて談じ合い、まとまっていくのが本来ではないのだろうか。
 調べてきた「異端」に関するものは、ほとんどが本部のやり方に反対とか異を唱えることが原因になっているケースが多いように感じる。「多勢に無勢」とか「長い物には巻かれろ」とか、「数の論理」などの言葉が自然と頭に浮かんでくる。

 しかし、こういったことも神が働けば変わってくるのかとも思える。「教祖みき」や「本席伊蔵」が説いてきたことが、ないがしろにされ、「天理教」とは称していても本家本元というより、歴史の中で、集まった「人」が作り出した集団というようにしか思えない。仮にそうだとすれば、衰退していくのも「天然自然の理」であり、騒ぐほどのことでもない。大事なことは本当に心から納得し、守っていこうと思える「教え」であり、本当に「誠の人」に成人できるかであるように思う。

 がらんとした三殿と回廊を歩きながら、思ったことをちょっと書き留めておく…。

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