見出し画像

銀行やめて地方に飛び込んだ男の話

はじめまして森本と申します。

7年間勤めた銀行を退職して岡山の西粟倉村という小さな村の建設会社(通称土建屋さん)に転職しました。2016年4月に移住したので早いもので3年になります。

今思えば我ながら思い切った決断だったと思いますが、決して間違った判断ではなかったと思います。3年たった今も西粟倉に移住してよかったなーってつくづく思うし、毎日楽しく暮らしています。この3年間を振り返って10回ほど定期的に連載していきますので、お付き合い頂ければ幸いです。


第1回 7年勤めた銀行辞めました
第2回 なんで地元ではなく縁もゆかりもない岡山に移住したのか
第3回 元銀行員から見た「西粟倉ここがすごい!」
第4回 なぜ地域にここまで溶け込む事が出来たのか
第5回 銀行マンが土建屋に転職したらどうなった
第6回 地域における空き家管理事業という仕事
第7回 地域おこし協力隊ってどうなの? 
第8回 調整業という見えない仕事
第9回 地域に入って変わったお金・仕事の捉え方
最終回 「いずれは地元で仕事したいなあ」では仕事は作れない

銀行辞るなんてもったいないでしょ

これは辞める前後本当に良く言われました。

大体の方には照れ笑いで「いやぁ~」って肯定も否定もしなかったのですが、

やめた時の収入減少のリスクを越える、続けるリスクがあった

というのが、一番しっくりくる答えだったかなと思います。もちろん、お金は大事ですよ!移住後1年は昨年の年収に基づく社会保険料と住民税に苦しみました。元広島の黒田投手すごいなと肌で感じました(笑)

実際1年間で約100万円が税金支払で口座から消え去って行きました。ある程度想定してたけど、いざ直面するとへこみます。大阪のカフェで青ざめて3日位元気なくなりました。けど所詮3日位だから。

それよりも僕が怖かったのは

今後自分は労働市場で使い物にならないんじゃないかと言う恐怖

でした。当時の僕は法人営業として既存のお客さんを抱えながら新規開拓をするというポジションでした。良くも悪くも中盤から下位を行ったりきたりする中途半端な成績だったな
ーと思います。

そこで感じたのは、

このままだと組織の駒として埋没していいところで捨てられるな

だなと。いわゆる悟りを開いて上司の叱咤激励を木の葉のようにヒラリとかわしながら組織にしがみ付く人間になっていくなと(笑)

当時は営業成績を積み上げる事に疑問(いわゆる晴れの時に傘を貸して雨の時に取り上げるという銀行の融資スタンスの例えでよく使われるアレ)を抱き、求められる数字が行かない事で上司が詰められても全く刺さらないというか、「やらねば!」みたいな気持ちが湧かなくなっていました。

ただ、本当にお金がいるところに相思相愛で融資が出来るという経験もあったので、その高みまで自分が行けてないという悔しさを覆い隠す為の言い訳を毎日自分に言い聞かせているような状態でした。

このまま営業をだらだら続けても、いざ会社が無くなり、ポーンと社会に放り出された時に自分は一体何が出来るんだろう?と。いずれ取り返しのつかない事になるんじゃないかという焦りだけが日々募っていました。

それならもうやりたい事やろう

出身が奈良県の田舎だった事もあり、地元でなんかやりたいなーっていうのはぼんやりと考えていました。暖色の照明が素敵な古民家でよなよな地域の人たちが語り合うみたいなのいいなーと。

でもそれでこの先やって行けるのか?という自問自答はしていました。地方創生がこの頃全国的にパワーワードとなっており、東京にいながらネット記事を通じて全国の事例を読み漁っていました。

2015年当時はその後非常に参考にしたライフシフトなんかが出る前で今後の自分の身の振り方の大枠な動き方というのを模索している状態でした。

東京で何気なく参加したイベントで今後の人生変わる事に

そんな暗中模索の2015年秋、今も毎年開催されている地域仕掛け人市というイベントに参加し、今後の人生が大きく変わる事になります。

それはまた次回に…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?