mori_suguru

mori_suguru

最近の記事

T君は焦っていた

 T君は焦っていた  だって、川西池田の出発が2分も遅れてしまったんだから。  1分遅れたら『お仕置き部屋』が待っている。一日中、指導助役と差し向かいで1時間に1枚のペースで反省文を書かされる。まるで、喫煙が見つかった中学生みたいな一日。「座学もあきたでしょう」と言われて外に出たら、「そこの草むしりを」とさらし者にされる。責任感の強い先輩運転士が初めてお仕置き部屋送りになり、耐えかねて自殺したという話も、もっともだと思う。昇給は遅れ、ボーナスはカットされる。お仕置き部屋には

    • 『旧カトリック清水教会 解体資材展』写真提供

      旧カトリック清水教会写真募集御担当者様  急に、春めいて、というよりは東京は初夏の陽気です。 昨秋他界した母のアルバムに、1954年とメモがある写真があり、そこにフランス語サークルの写真と、それから、当時の清水カトリック教会の神父さん(オートバイで長崎に旅してたりして、母の憧れの人だったようです)の写真がありました。  1929年生まれで「軍国少女」として少女時代を過ごした母にとっては(静岡空襲までは静岡市土太夫町で暮らし、戦後清水に転居した)、カトリック教会のフランス人

      • 母のただ乗り 1945年秋

         終戦直後、母16歳、祖母47歳の秋のことである。  当時、母の一家は興津町(旧・清水市興津 現・静岡市清水区興津 )に住んでいた。食糧事情も芳しくなく、県西部の磐田まで買い出しに行くことになった。 「その頃は、見附って駅名だったかしら。東海道の見附宿。市の名前は磐田だったけど、イモ田っていうくらいのお芋の産地でね。  その頃は駅に行ったからってすぐに切符が買えるわけじゃなくて、朝早くから並んで、浜松までの切符をやっと二枚手に入れて、それで東海道線の汽車に乗ったの。  磐田に

        • 母死す  お知らせと御礼

          お知らせと御礼 2023年11月6日午前0時04分、母・森 光子が永眠しました。94歳でした。  1945年6月の静岡空襲で罹災し、戦後、当地・清水市村松に居を構え、祖父・米澤濱司の跡を継ぐ薬剤師として1955年頃から2010年頃まで米沢薬局の店頭に立っておりました。  その間、地域の皆さんの健康相談や時には生活相談に対応し、清水市立不二見小学校、第四中学校の学校薬剤師として、公衆衛生の増進に務めてきました。  晩年は、北矢部のグループホーム・えいむの丘で手厚いケアを受けなが

        T君は焦っていた

          夢の120円

           急に冷え込んだ十一月のある晩のこと。都心の某神社で、「住所不定無職」の六六歳の男性が賽銭箱に手を突っ込んだところ抜けなくなり、レスキュー隊が出動する騒ぎとなった。  僕はこのニュースを、某人権団体の人とラーメン屋で見ていた。まだ若い事務局長は、なんて間抜けな話だろうど呵々大笑。その反応があまりにも冷ややかだったので「でも、それだけ追いつめられていたのかも知れないよ」と僕がいうと、「いくら追いつめられたからって、他人のものを盗んじゃいけないわよね」紫煙を吐き出しながら別の女

          夢の120円

          書評『交通死―命はあながえるか』二木雄策著 岩波新書

           新聞の地方面の片隅に、毎日のように交通死亡事故の記事が掲載されているよほどの「大きな」事故でない限りわずか数行で、その日のニュースの量によっては掲載されないこともある。  著者は、成人式を目前に控えた愛娘を信号無視の自動車で「殺害」された。事故から五日後に僅か二〇年に満たない生命を閉じた彼女は、しかしながら統計上は「交通事故死者」としては扱われない。交通事故死者は、事故発生後二四時間以内の死者と定義されているからである。そして一人一人の死が、いとも軽々しく扱われているのが

          書評『交通死―命はあながえるか』二木雄策著 岩波新書

          バリアフリー小史(5) 3 法制度等の整備

          3.1 エレベーターエスカレーターの整備  障害者等による公共交通利用運動の取り組み等に合わせて、エスカレーターやエレベーターの導入などが進められるようになった。  1981年、国の運輸政策審議会は「長期展望に基づく総合的な交通政策の基本方針」を示した。この中で「高齢者のほか身体障害者等をも含めた交通弱者対策としては、国民の理解と協力を得るための教育、広報に努めることも必要であるが、同時にこれらの人びとが安全かつ身体的に負担の少ない方法で移動ができるよう長期的視点から着実に交

          バリアフリー小史(5) 3 法制度等の整備

          バリアフリー小史(4)2 身体障害者の公共交通利用権獲得運動小史

          2.1 1970年代の生活圏拡大運動  1970年頃から、各地で身体障害者等の「生活圏拡大運動」が取り組まれるようになった。  これは、障害者団体等が一致して取り組んだわけではなく、さまざまな人々が個人あるいは少人数で、いわば自然発生的に進められたものがほとんどである。  たとえば、宮城県仙台市では、ソーシャルワーカーと学生ボランティアらが生活圏拡張運動の中心的な役割を果たしたことが知られている。また、東京都内では、東京都技能開発学院の学生を中心とした人々が関東地方の私

          バリアフリー小史(4)2 身体障害者の公共交通利用権獲得運動小史

          バリアフリー小史(3)

          1.2 障害の医学モデルと社会モデル  20世紀には、障害はその人の身体的(あるいは知的・精神的)な機能の欠如等に由来するものと捉えていた。そこで、治療やリハビリテーションによって、その人が機能を回復しあるいは福祉用具等によって機能を向上することで、「社会参加」が実現する(逆に言えば、それが十分でなければ社会に受け容れられない)とするものである。これを、「医学モデル」あるいは「個人モデル」という。1980年に刊行されたWHOの国際障害分類(ICIDH)は、この考えに沿って、障

          バリアフリー小史(3)

          バリアフリー小史(2)

          1 はじめに~バリアフリー半世紀~   1.1 「標準」さん  「Mr.Average」の紹介から話を始めよう。 彼は、肉体的にもっともよく適応できる壮年期にある男性(女性ではない)の象徴であり、「統計的に言えば、少数の人しかこのカテゴリーには属さない」のであるが、世の中のほとんどの施設、設備は、彼が使いやすければいいというような設計思想で作られている。 架空の人物である「Mr.Average(日本語にすると「標準」さん。あるいは、作家・山口瞳氏にならえば「江分利満」氏だろう

          バリアフリー小史(2)

          バリアフリー小史(1)

           某所より、主に身体障害者の公共交通機関利用とバリアフリーの歴史についての原稿依頼を受けた。  「身体障害者の公共交通利用権確立運動」というタイトルの論文(特定課題研究)で修士号を得たのが2004年3月のことだから、もう20年くらい前のこと。久しぶりにあれこれおさらいをしつつ、この四半世紀くらいの動向については改めて確認しながら、まあ、脱稿した。  それを、ちょっとご紹介。  まずは、参考文献から 【参考文献】 国土交通省(2017年)「国土交通省所管事業における障害

          バリアフリー小史(1)

          都市計画練馬城址公園の整備計画について(中間のまとめ) パブリックコメント

          1 テーマ及びコンセプトについて 本計画のテーマは「都民に親しまれてきた土地の歴史・風土、緑豊かな自然を生かし、多様な主体と連携して社会の変化に答えながら創りあげる公園」とあります。  このテーマ設定は大変に重要なことであり、賛意を表します。  一方、これを「本気で」実現する姿勢は如何ばかりかと思わせられています。  すでに、「スタジオツアー建設」が進められていて、数百本もの樹木が伐採されてしまいました。また、産業遺産ともいうべき「カルーセル・エルドラド」をはじめとする遊具も

          都市計画練馬城址公園の整備計画について(中間のまとめ) パブリックコメント

          ハリーポッターのテーマパークへの意見書(その3) 災害時について、周辺交通への影響について 本計画の妥当性について

          3 災害時について  としまえんは、広大な樹林と空地を備える配置で、地域の防災拠点として位置づけられていました。その特性からも、東京都の防災計画上も練馬区地域防災計画上も、重要な土地として位置づけられています。  仮に首都圏直下型地震等で大規模火災が発生した時には、近隣約6万5千人がとしまえん敷地に避難することが計画されているものです。  本計画では、としまえんの敷地北側に、東京ドームに匹敵する巨大な建物ができる予定となっています。その結果、発災時に地域住民が避難することがで

          ハリーポッターのテーマパークへの意見書(その3) 災害時について、周辺交通への影響について 本計画の妥当性について

          ハリーポッターのテーマパークへの意見書(その2)

          2 建設予定地周辺の住環境に与える影響について (1)本計画の予定地の用途について  本計画は、閑静な住宅地に計画されています。  「閑静な住宅地」とは単なる比喩ではなく、としまえんに隣接している向山三丁目は、関東大震災直後の1924年(大正13年)12名の組合員による共同借地として住宅開発がはじめられた、都内でも屈指の歴史を持つ住宅地として、建築学でも調査研究されているものです。(例 「城南住宅組合の活動と住環境の形成・維持に関する歴史的研究」中島 伸, 田中 暁子, 初田

          ハリーポッターのテーマパークへの意見書(その2)

          ハリーポッターのテーマパークへの意見書 その1

          (仮称)スタジオツアー計画(春日町1-1:博物館その他これに類するもの、自動車車庫等)に係る意見書 (仮称)スタジオツアー計画(春日町1-1:博物館その他これに類するもの、自動車車庫等。以下「本計画」と記載します)に関し、以下の通り意見表明します。  疑問点については逐次誠意をもってご回答いただけるよう希望します。 1 建築物の性質(用途)について (1)博物館法上の位置づけについて  本計画は「博物館その他これに類するもの」として開発計画が進められています。  しか

          ハリーポッターのテーマパークへの意見書 その1