広電 皆実町6丁目電停
原爆ドーム前から乗った電車が
御幸橋を渡る
歩道には 「あの日」被爆者たちに
罹災証明書を書いている警察官の
写真のモニュメント
千羽鶴が手向けられている
皆実町6丁目に着いた
電車はここで南に進路を取る
電車通りの西側に並行する一直線の道
明治天皇が通ったことから
御幸通りとよばれている
その道の北端に
「平和塔」がある
平和を標榜しているが
上部に置かれているのは金鵄だ
背面にはただ
「昭和二十二年八月六日」とだけ記されている
この塔は元来、日清戦争の勝利を記念した「凱旋塔」
金鵄は、広島港から行軍した兵士を睥睨していたのだ
広島は軍都であった
萩の乱、西南戦争では「鎮台」が
日清戦争では大本営が置かれた
その軍都が「平和都市」となった今も
実は金鵄が人々を睥睨しているのかもしれない
(今、広島市では職員研修に「教育勅語」を使っている)
皆実町6丁目には比治山線の停留所もある
比治山線は、軍需工場への輸送力を強化するため、
軍部の要請により1944年に開業した路線だ
宇品方面行ホームのすぐ傍らから東に向け
2間幅、約700メートルの一直線の道
木製の電信柱には「ヒフクドオリ」と標識がかかる
人通りは少ないが、自転車店、電器店、食料品店、理容店など
商店が連なるこの道は、かつて陸軍被服支廠への通勤路だったろう。
そして「あの日」
峠三吉が描いた「仮繃帯所」に連なる道
仮繃帯所にて 峠三吉
あなたたち
泣いても涙のでどころのない
わめいても言葉になる唇のない
もがこうにもつかむ手指の皮膚のない
あなたたち
血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ
糸のように塞いだ眼をしろく光らせ
あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ
恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが
ああみんなさきほどまでは愛らしい
女学生だったことを
たれがほんとうと思えよう
焼け爛れたヒロシマの
うす暗くゆらめく焔のなかから
あなたでなくなったあなたたちが
つぎつぎととび出し這い出し
この草地にたどりついて
ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める
何故こんな目に遭あわねばならぬのか
なぜこんなめにあわねばならぬのか
何の為に
なんのために
そしてあなたたちは
すでに自分がどんなすがたで
にんげんから遠いものにされはてて
しまっているかを知らない
ただ思っている
あなたたちはおもっている
今朝がたまでの父を母を弟を妹を
(いま逢ったってたれがあなたとしりえよう)
そして眠り起きごはんをたべた家のことを
(一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない)
おもっているおもっている
つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって
おもっている
かつて娘だった
にんげんのむすめだった日を
(引用元 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001053/files/4963_16055.html )
この詩と出会ったのは
「女学生」と同世代だった1980年頃
東西冷戦が激しさを増し
「終末時計」の針は進み
世界各地で「反核運動」が高まる中
日本は、中学校歴史教科書の記述を
「侵略」から「進出」に改めていた。
被服支廠には、当時を知る4棟の巨大な煉瓦造りの倉庫が並ぶ
閉じられた鉄扉は、「あの日」の爆風を受けて歪んでいる
軍都と「平和都市」が交錯する場所
(今、軸足はどちらだ)
広電皆実町6丁目電停
軍都と平和都市が交錯する停留所
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