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「知の観客」として在るために──文化を創るクリエイター、文化を育てる観客

 いつもお疲れさまです。

 今回は抽象的なお話です。


 先日、型月伝奇研究センターという非常に興味深いサークルさんを発見しました。TYPE-MOONの名物ライターにして我らが菌糸類、奈須きのこ氏の作家性を研究しようというコンセプトには大変感銘を受けました。


 型月伝奇研究センター、略して型伝研(かたでんけん)さんのnote記事にもあった通り、TYPE-MOON作品に関する「考察」といえば今後の展開予想がほとんど占めているように見受けられます。直近で言えば『Fate/Grand Order』(以下、FGO)の考察が非常に盛り上がっていますね。ストーリー展開の予想から始まり、新規サーヴァントの予想、次回イベントの予想などを、掲示板やYouTubeの動画にて目にすることができます。

 YouTubeに関して言うと、どりる氏の「ゆっくり型月」という考察動画はどれも素晴らしい内容で、テキストの緻密な読解に繰り出される綺麗な論理展開は圧巻の出来栄え。どりる氏の深い型月愛には脱帽です。


 こうした展開予想が盛り上がっている一方で、奈須きのこ氏の作家性であったりTYPE-MOONというブランドのゲーム業界における立ち位置といった作品の外部に関する事柄について考察している記事や書籍などは数が乏しいように思われます。
 一例を挙げるなら、坂上秋成氏の『TYPE-MOONの軌跡』さやわか氏の『世界を物語として生きるために』やシラスの「カルチャーお白州」における月姫の特集などが該当します。


 また、個人的に推したいのは、よるとり氏がnoteにて掲載していらっしゃるFGO2部6章の考察記事になります。FGOをプレイしている方々には是非とも読んでいただきたい傑作です!


 展開予想としての考察が顕著に行われている例は、他の作品でも度々見受けられます。代表的なのは『ONE PIECE』『HUNTER×HUNTER』ですね。私が知っているところでは、『ONE PIECE』は「コヤッキーチャンネル」、『HUNTER×HUNTER』では「HUNTER×HUNTER大好きチャンネル」が挙げられます。どれも楽しく拝見させてもらっています。


 これらの考察ではリアルタイム性が強く、情報を共有したファンの間での交流が盛んに行われるメリットがあると考えられます。また、考察の内容だけでなく、考察が行われている場所の雰囲気というのも楽しむ要素の一つとして挙げられるのではないでしょうか。

 しかし、その一方でデメリットもあるのではないかと思うのです。それは、作中で答えが判明すれば考察はそこで終わってしまうという点です。

 作者の側から答えが提示されれば、読者はそれを唯一の正解として受け入れることになります。「答え合わせ」が終われば、それ以上考察を進める必要はなくなってしまうのです。

 その人にとって知の結晶とも呼べる「考察」が使い捨てのように終わってしまうことが哀しい。こう考えるのは感傷的に過ぎるのでしょうか。

 「答え合わせ」をすることが決して悪いこととは思いません。何なら私自身も上記に挙げた考察動画は欠かさずチェックしていますし、皆さんのおかげで作品への理解をより深めることができています。

 しかしそれとは別に、長年に渡って残り続けるような考察も増えてほしいと思うのです。




 私はこれまでに、『空の境界』と『月姫』に関して文学的に読み解こうという旨の記事を書きました。


 これらの記事を書いた理由は、TYPE-MOON作品へのスキを私なりに形作りたかったからです。それとともに、作品の考察を使い捨てにしたくなかったのです。

 おかげさまで、予想以上に多くの方々に拙論を読んでいただいております。拙論を他の方に読んでいただいたことで、皆さんにとって実りがあったかどうかは定かではありませんが、私なりに考察していったことは決して無駄ではなかったと思います。




 最後に、本稿のタイトルに掲げた「知の観客」について触れたいと思います。この言葉は東浩紀氏の『ゲンロン戦記』という本から引用しました。


 SNSの発展などもあり、現代においてクリエイターが発掘される場所が爆発的に増加しています。ネットを軽く検索すればすぐにお目当ての作品に出会えるほど、娯楽に困ることのない時代になりました。

 そのため、多くの人がスターを目指して何かしらの創作に取り組むようになっていると、東氏は述べています。しかし、才能の有無に関わらず、誰もがスターになれるわけではありません。YouTuber一本で生活が賄えるのはほんの一握りであるように、多くの人から認知される創作者になれるのもわずかなのです。

 そこで東氏は、「コンテンツの制作者になる道だけでなく、「観客」になるという道」も必要だと訴えています。

「あらゆる文化は観客なしには存在できません」

 そう東氏が語るように、大前提として、あらゆる創作物は誰かの目に留まることではじめて芸術としての価値が生まれます。

 さらには、「観客」がSNSで感想を書く・作者へファンレターを送る・作品の批評や考察を述べる・作品の二次創作を行う、などの反応によって、「観客」から作者の方へアクションを起こすこともできるのです。

 このことから、創作とは作者から「観客」への一方通行ではなく、作者と「観客」の双方向で展開するものだと言えるでしょう。


 私はTYPE-MOONの「観客」の一人として、今後も応援し続けていきます。その表現の一つとして、TYPE-MOON作品の文学的読解に努めていく所存です。






 なんだか曖昧模糊とした結論ですね……。

 ひとまず、型伝研さんをはじめとする本稿でご紹介した方々の記事や書籍、動画を皆さんにも観ていただけると幸いですっ(ステマ)

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