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私信メールが改竄されて知人の著書に勝手に掲載された件。

(本稿は拙著『自閉女(ジヘジョ)の冒険 モンスター支援者たちとの遭遇と別れ』のpp.195-203から一部修正のうえ転載するものです)(長文です)

さて、このころ前後、私はY君と文通をしていた。
 とはいっても、私としては自分の意志で文通しようとして手紙のやりとりをしていたわけでは決してない。Y君から初めて手紙が来たとき、先にも書いた通り、なぜ、どうやって彼が私の住所を知り得たのか、今もって謎なのだが、ともあれ私は返事をした。すると彼からその返事か来たので、私がその返事をして……を繰り返しているうちに、気がついたら、いつの間にか文通みたいになっていた。
 最初は切手を貼った郵政メールだったのだが、やがてそれはEメールになった。
 すでに一九八八年に自著(正確には支援者たちとの共著)を上梓していて、いわば日本で初めて自閉症当事者で本を出していた彼は、いわば私の先輩だった。彼は世間擦れしておらず純粋で、しかも言語能力が卓越していた。ただ、社会性となるとゼロで、それが彼を自閉症たらしめている障害だった。
 それに加え、自閉症のタイプがお互いによく似ていたことも、メールのやりとりが継続した理由だろう。そしてそれは数年間にわたって長く続いた。
 あ、異性同士のメールだからといって、決してエッチな内容だったわけではない。自閉症の人にしかわからないことや、お互いに読んだ本のことなどを話題にしていた。

ある日、彼は、今、本を書いている、という意味のことを書いてきた。
 そのとき、私は直感で、もしかしたら彼は私のメールの文面をパクっているのではないか?という疑いというか、とても嫌な感じがした。だが、直感とか予感というのは根拠がないし、裏づける証拠もないので、嫌われたくなかった私は、そのことについて質問することもないまま、文通が続いた。
 それからしばらくすると、彼は、私からのメールを本に載せてもよいか? という意味のことを尋ねてきた。
 それで私はこういう意味のことを書いた。
「私信メールはプライベートなものなので絶対に載せないでください」
 すると彼は、どうしても私のメールを載せたいという意味のことを書いてきた。それで、私は譲歩案として、このような条件を出した。
「メールでのやりとりを本に載せるのはマズいです。私にも自分の書いたものの権利があります。ですが、どうしても私のEメールを公開なさる場合は、匿名・仮名・ニックネームなどを使用し、また載せた内容から個人が特定また推定できないように配慮すること。載せるメールは出版前にこちらでチェックさせて欲しいということ」
 しかし、それらの要望に対する彼からのコメント(多少の記憶違いはあるかも)だが、彼は、“カミングアウトすることの大切さ”について、長々と持論を書いてきた。そこには、世の中に自閉症を理解してもらうためには、自分をさらけ出さなくてはいけないという意味のことが書かれてあった。
 それで私は、「私信メールを実名で本に載せるのは絶対にダメです」と重ねて念を押した。でもそれに対する彼の反応はとくになかった。
 やがて彼から、「今度、本を出すことになったので、帯のメッセージを書いて欲しい」と要望が来た。
 どうやら、本の帯というのは、本文を読まないで書くものらしい。このときに、本文を読ませて欲しい、と突っ込むことができなかったことを、いまだに後悔している。でも大切な友人からのお願いだから、彼の言語能力を称える文面を書いて、テキストファイルで添付して彼に送った。

しばらくすると、Y君から(もしかしたら出版社からだったかもしれない)、彼の自著の新刊が送られてきた。ハードカバーで、カバーはフルカラー印刷で表面には上品でマットなフィルムで加工がされている。そして本文には上質で厚手のクリーム色の用紙が使われていた。そしてその本の出版社のサイトのほうには、赤い文字で、「日本図書館協会選定図書」とあって、ホント凄いな、と思った。
 ヤルじゃん、Y君。
 そして、「某協会」会長のI先生(故人)協力とあり、二重に凄いな、と思った。
 私は、このような友達を持つことができたことを、とても誇らしく思った。

でも、本を開いて、私は別の意味で驚愕した。
 その本には、私の書いたメールが載っていた。そこには、見出しにデカデカと24Qのボールド体で、私の実名が。

「森口奈緒美さんとメールで対話」

私は、その場で、「ええええええええええええええええ?!?!」となった。
 そして、よく見ると、私の書いたものではない、私の発言ではないものが、私の発言として改竄されていることに気がついて、私は、二度目に、「ええええええええええええええええ?!?!」となった。
 私は思った。これはいったいどういうことなんだああああああああああああああああ?!?!
 ブルーの帯には私の名前で、「自閉症者の一人としてこの本を推薦します」とも書かれてあったのだが、それは私の言葉ではない。誰かが勝手に捏造したものだ。
 そして本文には、私信でしか知り得ないプライベートなことが随所に載っている。私の父が亡くなって、てんてこまいだったことも、私の実名を持ち出して、こちらに承諾なく書かれている。
 巻末には、その本の「協力者」でもある「某協会」会長のI先生が、解説というか推薦のようなものを寄せていて、こうあった。

「森口奈緒美さんやドナ・ウィリアムズさんといった人たちもいるけれど、Yさんの文才に期待したい。」

なんかもう、怒りなどとか以前に、自分の気持ちがフリーズしている。本稿を書いている現在に至るまで、ずっとそう。この件で私は自分の感情を露わにすることをとても恐れているから、人からこの件を訊かれても、そっけないというか、無関心な振りをすることが多い。
 まさに、もらい事故(?)というか、降り懸かった火の粉とは、このことだ。
 やはり、私の脇が甘かったというか、怪しいコンタクトに対して、まずは疑うべきだった。それはスパムメールにいちいち返事を出さないのと同じことだ。

私は、仲間の自閉症の当事者同士で訴えごとをするのは、とても嫌なことだったのだが、それ以上に、自分の名前で、偽りが拡散してそれが後世に残ってしまうことのほうが、遥かにずっと嫌だった。
 それで私はまず、その出版社の編集者にメールをした。すると先方は、何と、「モリグチさんはメールの掲載について了承したものだと思っていました」という意味の返事をしてきた。
 私は真相を知ろうと思い、その出版社の編集者に電話をしたが、話の途中で一方的に電話を切られてしまった。このように、コミュニケーションの障害があると、電話がとても難しくて、とくに今回みたいな重要な話をうまく伝えることができない。
 それで私は、自分の障害について理解があり、障害者同士の法的トラブルについて対応してくれそうな弁護士を必死に探した。そして、そのための電話による問い合わせにも苦労したのだが、何件か障害者関係の団体に電話して、何とか辿りついた弁護士さんに、その件を委任した。
 まず私は弁護士さんに、自分はいつも体調が悪いので、訴訟のために毎回裁判所に出向くのは至難だということを伝えた。すると弁護士さんは、「申立て」という方法があることを教えてくれた。
 私は弁護士さんに、申立ての対象となるべき出版社と著者以外に、「協力者」としてその本の奥付に名前と略歴と顔のイラストが載っている微妙な立場の人物がいるが、この人にはどういう対応をすればよいか、ということについて相談した。
 というのも、そこには著者のプロフィールと並んで、こうあったからだ。

「協力[I先生のフルネーム]
 Yが幼少のころから関わって面倒を見ている人。前作『○○○○○○○○』の監修として関わった。この本でも、全面的に協力をした。日本○○○界のパイオニア的存在。○○○○療法を編み出したカリスマ的存在。某法人常務理事、某短大学長、某協会会長、某大学教授等を歴任。」

なんかギラギラした経歴の持ち主だ。要するに、とてつもなく偉い人というわけだ。「この本でも、全面的に協力」ということは、つまり実質的には《関与》なのではないか?とも私は思ったのだが、その弁護士さんの意見またアドバイスに従って、その「協力者」であるI先生は、(私としてはとても不本意なことだったものの)申立ての対象から外すことになった。

私は弁護士さんを通してY君にいくつか質問をした。だがその返答はいずれも答えになっていなかった。でもそのようなわけで、彼が私の住所を、人に言えない方法で取得したということだけはわかった。
 また並行して、いろいろな「関係者」から何度も呼ばれて、お詫びの言葉を言われたり、このことは穏便にするように、なるべく公にしないように、とも言われた(すでに出版パブリッシュされたものについて、パブリックにするなとは、いったいどういうことなのだろう?)。彼はただの障害者ではなかった。その背後には彼を擁護する支援者たちがゾロゾロ控えていた。しかしその中で誰一人として、彼の横暴を止めることはできなかった。
 申立ての対象から外した「某協会」会長のI先生からも、じきじきに、「今回の件は、大目に見る」ということも、言われた。
 でも私もかなり、こだわりの強い自閉症だから、それはどうあっても無理というものだ。とりわけ、自分の発言ではないものが――というよりも、むしろ、明らかに自分の信念と正反対ともいえる内容の発言が、私の発言として捏造されて、それが私の実名で掲載され、公に一般に販売され、「日本図書館協会選定図書」というお墨付きで日本各地の図書館に置かれている――
 少なくとも私は、自閉症者と世の中との橋を架けるために、今まで発言活動をやってきたはずだ。
 私は、自閉症のこと、自閉症者のことを、世の中にわかってもらうために、努力をしている。人々の良識と良心というのを、信じている。
 しかし今回、私の発言として改竄され、「自閉症者の悩みは(略)非自閉症の人にはわからない」と書かれてしまった。
 このまま、その本が、何も知らない読者たちに読み継がれていき、後世に残っていくのだろうか?

私は、日本中のすべての図書館から、当該書籍を回収したかった。しかし公共図書館は税金で運営されているから、基本、処分はできないものらしい。それ以前に、全国の図書館を網羅しようにも、当時はまだ図書館の横断検索はできなかったから、各地の蔵書を調べることすらできなかった。
 そもそもそういうことは、日本図書館協会が各地の図書館に向けて広報することがあってもいいとも思ったのだが、少なくとも私の知り得た限りでは、そういうことはなかった。
 これと同様のことは「某協会」についても言える。協会としてもその会長としても、何の公式のコメントも一切なかったからだ。

基本、障害者のやらかした事件というのは、(いろいろと法律上の縛り(刑法第39条および刑事訴訟法)や、世の中の“コンセンサス”なるものがあるので)有耶無耶のむにゃむにゃにされる。だからなのか、マスコミもこの事件については一切報道してくれないし(社会的にはこの事件は、《なかったこと》にされている)、自分のサイトで告知しても、グーグル八分にされるか、検索下位にされるようだ。出版社のサイトでの告知も(これも弁護士さんを通じての再三の要請をして、やっと実現したものなのだが)、ものの数か月か一年足らずで、そのページは削除された。また私が自閉症関係の二つのネット掲示板に、この事件と訂正箇所について投稿したところ、「マルチポスト」として注意を受けるだけだった。
 それで私は、その十数年後に上梓したエッセイ集である自著(『金平糖――自閉症納言のデコボコ人生論』遠見書房、二〇一七)の巻末に、その顛末や、具体的な改竄箇所について載せるということにした。

結局この事件は、著者からの謝罪文と、問題の本を出した出版社側からの損害賠償額六〇万円、当該書籍の流通分の回収と在庫の廃棄、そして(右記の)出版社サイトでの告知(私としては、新聞広告の掲載を希望したのだが、弁護士さんが首を縦に振らなかった)ということで落着したことになっている。
 おそらくこの案件は、それ自体で本を一冊書けるだけの問題だと思う。でもそれは、今もって感情の整理が追いついていないので、たぶん無理だ。たとえ元気であったとしても、背後関係の調査や取材は、多難を極めると思う。そんな私が自分でできることは、こうやって自分の体験を書き記して、記録に残すことだ。
 何も私は、メールを載せるなと言っているわけではない。こちらの提示する条件を満たせば、大切な友人の著書のことだから、掲載には諸手を挙げて承諾したはずだ。メール無断掲載とその改竄さえなければ、その本は良著になっただろうと思うと、とても惜しいというか、すごくもったいない気がする。それだけに私の要望が、端から無視されたことを、今でもとても残念に思っている(すでに“終わったこと”について、後からグダグダ言うことについては異論もあるかもしれないが)。

◆   ◆   ◆

その後、私はある集まりにシンポジストとして呼ばれた。
 私の頭の中にはいつも、「回り○の会」(偽名。冒頭の本のⅠ章参照)と「エ○ール」(偽名。同Ⅱ章参照)での出来事があったので、いつか、この“支援者問題”というか、“問題支援者”というべきか、“ブラック支援者”、“わがまま支援者”、“モンスター支援者”のことについて、問題提起しようと思っていた。それで私としては、不登校支援者たちが発達障害に無理解な現状について言及しようと考えていた。
 なので、大勢集まった聴衆の前で、私が、「当事者の人権を侵害する支援者もいます」と発言したときのことだった。
 何を血迷ったか、ステージにいた(司会だったかもしれない)「某協会」会長のI先生が、突然、私に対して怒り出して、聴衆の面前で私のことを名指しして「モリグチさんは勉強不足だ!」と言って罵り始めた。彼は激しい口調で言った。
「モリグチさんは勉強不足です。モリグチさんは『当事者の人権を侵害する支援者もいます』と言っていますが、そんなことは絶対にありません! 私たち支援者は、いつも当事者のために働いています!」
 たしかに、私は自閉症業界のこと、発達障害のすべての世界を知っているわけではない。私は主に、私の身に起きたことを元に話をするだけで、発達障害のすべてを把握していないことは認める。でもそのことは、何も大勢いる公の面前で、あげつらうことではないと思う。
 私はI先生が怒りだしたことで、頭の中がまたもやフリーズしたために、このとき、反論することができなかった。というか、正確には、反論できなかった。それは話し言葉が苦手だということもあるが、ある意味、そのI先生の発言は事実であり、反論のしようがなかったからということもある。
 しかし、I先生は、私がどのように「勉強不足」なのかは具体的には言わなかった。
 私は怒りたくなったのを必死で自制した。
 でも、このI先生も認識不足というか、もしこの先生が、自閉症者の持つ独特の感覚の特性を理解していたならば、自閉症の人を刺激する、感情を爆発させるような発言は、そもそもしないはずだし、また、自閉症特有のこだわりのことを理解していたならば、自閉症の人のメールを無断でパクって公開したり、それに改竄を加えて書籍にすることは許さなかったはずだ。
 まあ、たしかに、他人の私信を本人の許可も取らずに、自分の好きなようにいじって勝手に公開するというのも、もしかしたら自閉症特有のこだわりなのかもしれないが、その辺のところについて事前に監修できる人はいなかったのだろうか?

このシンポジウムが終わった後、私が大勢の前で名指しで罵倒されたことについて、こないだお世話になった弁護士さんに相談しようかな?とも考えた。
 そういえばI先生は、(弁護士さんの意向とはいえ)例の件で申立ての対象から見逃してあげたことについて、どう思っているのだろう? 一度、見逃してあげた人を、改めてまた別の申立ての対象にすることについて、その弁護士さんはどう思うだろうか?

いろいろ何日もよく考えた挙句、結局、この件について申立てはしないことにした。
 でもそのようなわけで、私にとって、世の中を渡っていくのは、激ムズだ。◆

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