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長期休暇の終わる頃。

 学校の長期休暇が終わるころになると、あちこちの大手メディアに必ずといっていいほど出没する不登校関係の新聞社と、その編集長がいる。
 この団体とこの人の問題点は、とにかくフリースクール(以下、「フリスク」と略する)をベタ褒めするということ。
 そもそもフリスクは会費が高いし、しかもレイプや暴力やいじめや仲間外れといったリスクもある。
 だが、その人物は、無責任とでもいうべきか、そうしたリスクやデメリットには一切触れないまま、悩める読者たちに対し、フリスクをあたかも理想の居場所のように無批判で手放しで称賛して推す。
 だが、この自称新聞社なるものは、某フリスクが所有していたレイプ事件があったログハウスについて、ことさら好意的に宣伝していた、という前科を持つ。

 で、かつて私が、フリスクを併設していたある民間団体(その団体の代表者がそのフリスクの代表者を兼ねていた)に相談というか問い合わせしたときも、それなりにひどかった。
 どのようにひどかったのかというと:
・問い合わせに耳を傾けないまま、人の掛けた電話で延々3時間も、スタッフが一方的に喋りっぱなし。
・相談者の意見を変えさせようとする。
・問い合わせの手紙を勝手に俎(まな)板に載せたり、剽窃する。
・内心の自由に属することまで、あれこれ指図したり、命令する。
・「大至急」と急かしていて投稿を送らせながらも、その資料を紛失。
・話し合いや問い合わせに応じない。
・相談者を「スタッフ全員」で吊るし上げを試みる。
・代表者直々による障害者へのヘイト発言。
……などなど。
(ここら辺の詳細については拙著『自閉女(ジヘジョ)の冒険』や『金平糖』の25章などにも書いた。)
 だが、そこら辺のリスクというのを、その自称新聞社や、その代表のI氏とかいう人物は全く関知していないらしい。もしくは、関知しないフリをしている。もしくは、(故意かどうかは知らないが)無視している。
 要するに、その種の団体は(服装や髪形などの自由はあっても)少なくとも私の知る限りでは、友達を選ぶ自由、内心の自由、思想の自由がない。
「フリースクール」というのは「スクール」つまり「学校」なのであり、したがって(関連団体を含め)学校と同様の縛りがあるのである。違うのは、その縛りの種類である。

 このように、リスクのあるフリスクだが、勉強するだけであれば、何も学校やフリスクでなくとも、独学でもできる。
 独学というと何やら固苦しい響きだが、要は、自分の専門(好きなこと・興味のあること)に打ち込み、極めることといってもいいだろう。
 そしてそれは、探求系や創作系であれば、コロナ禍でステイホームが推奨されている今日だからこそ、チャンスだ。
 そしてその自由は、不登校・ひきこもりの当事者にも、もちろんある。

 たしかに独学では成績や単位や学位や学歴は修められないが、すくなくとも、学校当局によって出鱈目で適当な成績や評価を付けられて、さらにはそれが一生涯、自分の身に纏(まと)わりつくよりは、はるかにましなことである。
 それで、不登校・ひきこもり以外の人も、ステイホームが強いられている今の時期だからこそ、クリエイティブなことをしたり、興味のあること、孤独でしかできないことを探求してみるのはどうだろう。


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