見出し画像

「なぜ?」を自問し続けたら、生き別れた父にたどり着いた

僕(30)は、小学校2年生以来、父に会っていない。僕が小さい時も、父はもともと単身赴任だったので、夏休みなどに数日会う程度だった。

少年時代の僕は、父が車で迎えに来てくれるのを楽しみにしていた。

画像1

父と言えば「面白い人」というイメージが強い。よく志村けんのモノマネをして笑わせてくれた。

他の特徴は、少し小太りでメガネをしていて、歌が上手くて、ビールが好きだったかもしれない、、、くらいしか覚えていない

とにかくよく笑わせてくれた人だ。


ある日、母から「父と離婚した」と知らされた。そして今までと変わらず僕は母と暮らすことを。その時、僕は「別に寂しくないよ」と言った気がする。もともと父とは一緒に住んでなかったし、また会えるだろうとも思ってた。

しかし、それ以来、父が迎えに来ることは二度となかった

画像2

3年生になると同時に、僕の名前が変わった。多くの人は、名字だけが変わるらしいが、僕は下の名前も変わった。理由は画数だった。そういうのを気にする家だった。

当時の僕は、名前が全部変わるなんて有名人の芸名くらいだし、なんかカッコイイじゃんって思ってた。慣れない名前の響きに最初は戸惑いながらも、自分がなんだか特別な存在になった気がしてた。第二の人生がスタートした気分だった。

名前が変わってから、父のことはほとんど思い出すことはなかった。今何してるとか、少しも思い出さなかった。両親が離婚して名前が変わった。ただそれだけだった。

今思えば、離婚後の生活はきっと苦しかったんだと思う。祖父母のサポートがあるとはいえ、母は仕事をしながら家事も炊事もしてくれた。それなのに小学校高学年になっても夜が怖くて、仕事に出て行った母に電話をかけて、帰ってきてと泣いてたこともある。

画像3

貧しいながらも、母は僕に部活や習い事をさせてくれた。代わりに母自身のことは、色々と後回しにしてたんだと想像できる。

今なら少しだけわかる。フルタイムで仕事をしながら、一人で子育てをする大変さを。

僕はそんな母の苦労を知らず、おかげで学生時代をのびのびと過ごすことができた。

物心ついた時から、負けず嫌いだった僕は、何事も1番を目指した。習いごとや部活、勉強…やると決めたことはとことんやって、誰よりも勝ちたい一心で、色んなことに励み、没頭していた。父のことなんて頭の片隅にもなかった。


なのに今さら。30才になった僕が父を思い出して、涙が止まらなくなったのだ。


きっかけは自己分析のようなワークショップだった。

自分がワクワクする事柄をブレインストーミングして、それぞれに「なぜ?」を繰り返す。

例えば、「おしゃれ」がワクワクすることだとして、なぜオシャレがワクワクするのか自問する。

オシャレがワクワクする→なぜ?→自分が良く見えるから→よく見えるとなぜワクワク?→褒められるから→嬉しい

といった具合だ。

画像4

僕の場合、これをすると複数の事柄が共通の理由にたどり着く。

「自分の存在を認められたい」


誰に?


それを考えると、色んな場面が思い浮かぶ。学校の先生や職場の上司。


しかし、どの大人も何か違う。自分が認められたいのは誰なのか。

答えが出るまで長くなかった。

そうか父か

あれだけ忘れていた存在が、ふいに頭の中に浮かんできた。途端に涙が止まらなかった。

自分で自分に驚いた。

そうか今まで、父に「すごいね」「頑張ってるね」と言われたかったんだと。

まだ8才だった僕は、急に父に会えなくなった。本当は父に自分のことをまだ見ていてほしくて、たくさん褒めてほしかった。認めてほしかった。なのに会えない、褒めてもらえない悔しさを、自分が気づかないうちに、一生懸命アピールをするために、なんでも1番になろうとしていたんだと。

それに気づいた時、いつも一番にならないと、優秀でないとと焦っていた自分を少しだけ癒してあげることができた気がした。

画像5


去年僕は結婚した。近々子どもも生まれる予定だ。今度は僕が父になる。こんなに幸せなことはない。

この幸せと感謝の気持ちを父にも伝えたいと思い、調べてみたら、父の住所だけ知ることができた。

手紙でも送ろうか。どんな現実が待っていようとも。

画像6


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?