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初めてのウィーン【一人旅海外編①-1】

2024年ゴールデンウィーク、私は人生初の挑戦をしようとしていた。
そう、遠い西欧の町へ、女一人旅に行こうというのである!

私はそもそも一人旅を好む人間で、コロナ期間だったのもあり、国内の一人旅は結構頻繁にやっていた。しかし、自身の身体に年々ひたひたと衰えが迫りつつあるのに気付き、これはもしかして海外の一人旅しかも長旅をしたいのであれば、体力のある今のうちに行っておかなければならないのではないか?お金が貯まったらそのうち行こうとか言っている場合ではないのでは?と思った。そして、それならもう、この人生に後悔のないように、この身体が満足に元気なうちに、生きてるうちに行っておきたいと思ったところをひとつずつ訪問していこうという結論に至った。
歳を取ってからツアーで行く、という方法もあるが、ツアーで見れる景色と一人で見る景色はまるで違う。そもそもツアー旅行はひとつの町にせいぜい1日~2日しか滞在しない、移動型旅行である。1日で見て回れる程度の小さな町ならそれでもいいが、大きくて魅力の多い街はそれでは非常に勿体無く、なんなら海外の街だったらどう考えても1週間くらいはそこにいたい。移動型旅行と滞在型旅行は全くの別物である。行くならぜひとも、自分がその町に住んでいるような気分になりたい。観光名所だけじゃなくて、路地裏を歩いたり、気になったお店にふらりと入ったり、カフェでぼーっとしたりして、のんびりその町と一体化したい。
そんな思いから、私は自分が全く英語ができないこととか、割とポンコツであることとか、そういう懸念を全て投げ捨てて、海外一人旅を始めたのである。

(ちなみに、上記のように思い立ってからまず近場のタイに行き、次に台湾に行き、そしてこのオーストリア(ウィーン及びザルツブルク)が海外一人旅の3ヶ国目になる。タイと台湾の記事はまだ書いていないが、記憶が新鮮なうちにウィーンから書くことにした。)


【一日目 成田~ウィーンへの移動】

一日目はマジで移動するだけの日である。一日といっても時差が7時間あるので、実際は一日目が31時間あることになる。
早朝の東京・千葉はどんよりとした雲に覆われ雨の気配もする。4月の不安定な天候に悩まされたボロボロの身体が、もう気圧の変動は嫌だと悲鳴をあげている。成田空港は広くてデカくて、重いスーツケースをゴロゴロして移動するだけで体力が奪われていく。こころなしか頭も重い。果たして私は無事にウィーンへ飛んでそして再び日本に帰って来ることができるのか。そんな不安を頭から必死に振り払う。自分の身体の貧弱レベルを考慮して、お金を多めに出してでも直行便一本での移動にしておいたのは正解だった。けど、やっぱり長時間フライトを伴う旅行なんて、そもそもやめておけばよかったんだ。大人しく東南アジアとかに行けばよかった。向こうで体調を崩したらどうしよう。不思議なもので、あんなに楽しみにしていた長旅に旅立つ瞬間はいつも、ちらりと後悔が頭をかすめる。でも、行くのである。

飛行機の中の私は大半の時間死んでいたので、まあまあ体調が回復してきたころにユーラシア大陸のどこかを撮った写真が数枚残っているのみである。

ユーラシア大陸

長時間フライトの座席選びの最適解はどこなのだろう。往路で座った真ん中4列の内側2列の席は(機種にもよるが)、空調をもろに受けることが多いので、特に冷房期は女性には厳しい席だった。復路で座った窓側の席は、けっこう自由に腕脚を伸ばせてよかったのだが、外気による機体外装の冷えがめちゃくちゃ伝わって来るので、長時間乗る場合これも女性には厳しい。
そうなるとやはり自分のタイミングで席を立てる通路側が、温度調節的にもお尻のダメージ的にも最適となってくるが、通路側にもデメリットがあって、眠っているときに起こされる可能性がある。なので窓側3列の通路側よりは、真ん中4列の通路側がベストかもしれない。
つまり私の個人的な席選びの優先順位としては、
①真ん中4列の通路側
②窓側3列の通路側
③窓側3列の真ん中(腕脚が伸ばせない窮屈さはあるのでどうしても①②が取れない時に限る)
そして機体の中の位置としてはできるだけ前方、トイレから5列以上は離れた位置かなあ、というのがいまのところの結論である。今後の指針にしていきたい。

【ウィーン市街ホテルへ】

空港到着からホテルへの流れはとてもスムーズだった。

まだ全然英会話モードにシフトしていない眠々の脳味噌を鼓舞し、入国審査で最低でも「Sightseeing.」とだけは答えられるようになんとか準備していたのにも関わらず、第一村人のイケメン入国審査官は私の赤いパスポートを開いて何か操作をしただけで、一言も、本当に一言も質問されなかった。顔パスだった。生まれて初めて入国審査で顔パスしたと思う。あ、オーストリアってたぶん治安がいいんだな、という予感と、日本国籍パスポートの強さに、この旅初めての感動が押し寄せた。

長時間フライトのせいで、現地時間は夕方なのに身体時間は完全に日本深夜である。この状況で、見知らぬドイツ語にまみれた街を電車移動したりそこらへんのタクシーに乗ったりする勇気は私にはまだなかった。なので事前にネットで送迎サービスを予約しておいた。高くつくけど安心である。ウィーン国際空港は小さい空港なので到着ゲートまでがとても早く、予約時間より30分も早く受付デスクに着いたけれど、身体のでっかい運転手の兄ちゃんがすぐフォロミー!俺についてきな!と私を呼びすぐ出発してくれた。重いスーツケースをゴロゴロする距離も最低限で済んだ。やったあ。

空港の敷地

車窓は、ヨーロッパっぽい異国感はあるものの、農地、工場地帯、住宅がぽつぽつ、それらがしばらく続く、といった都市郊外の典型的な様相を呈していて、(やっぱりオーストリアといっても空港周辺はこんなもんなんだな)と期待を超えない感じである。

そこでようやく、運転手の兄ちゃんが私に英語で話しかけた。

兄ちゃん「どこから来たの?」
私「あ、アイムフロムジャパン……」
兄ちゃん「へえ、日本いい国だよね~。僕はイラク。イラクのバグダッドだよ」
私「ほえぇ~バグダッドォ~」

会話が終了した。バグダッドに関する話題を私が何も持っていなかったからだ。日本語だったらもう少しましな話の膨らませ方もひねり出せたはずだが、なにぶん英語なのでうまいこと会話を続ける語彙力が無い。

アイムフロムジャパン、察してくれ、ジャパニーズ英語ヘタクソ、みんな知ってる!と思いながらしばらく無言の時間を過ごしていたが、ある瞬間から景色がやたら豪華になり始める。あ!なんかウィーンっぽい! そう思った瞬間から目に飛び込んでくる建物がなんかもうすさまじくずっと歴史保存地区風。ひゃーっと興奮気味に、身体は深夜2:00のねむねむお疲れ日本人が車窓の写真を撮り始めたところ、ちょうど車が橋に差し掛かった。

兄ちゃん「これドナウ河だよ」
私「Oh! シュトラウス!?(精一杯の返事)」

後で調べたところによると、たぶんこっちは本流ではなくドナウ運河だったっぽいのですが、それでも大感動です。一瞬にして頭の中に『青く美しきドナウ』(フルオーケストラver.)が流れ始めます。町並みはどんどんウィーンっぽい建物が増えていき、ドイツ語の書かれた看板が増えていきます。明日から私、思う存分この街並みを歩けるんですね……?

車窓からの写真なのでこれが限界

来てよかった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

私は今朝まで日本の低気圧で苦しんでいたことを忘れた。飛行機の中で座りっぱなしでお尻が痛くて死んでいたことも忘れた。ウィーンに来てよかったと、到着30分後にして心から思った。体が軽くなった。

私が街並みに感動していると、少しだけ会話が進んだ。

私「Oh……beautiful……(精一杯の語彙)」
兄ちゃん「ヴィエナ、いい所でしょ」
私「あ、『ヴィエナ』か! えっと……私たちは、英語で、『ウィーン』って言います(日本人的にはそっちの名前で呼ぶことが多いですと言いたい)」
兄ちゃん「チッチッチ ドイツ語では(in "Deutsch")、『ヴ゙ィィエナ』って言うんだよ」(ドヤ顔)
私「ヴィエナ、ヴィエナ……なるほど! (えっと……)これは私の初めてのウィーンへの旅行です」
兄ちゃん「それはいいね! (何かウィーンのいいところを喋っているが聞き取れない) 何日滞在するの?」
私「9日です(正確にはウィーンの後ザルツブルクに滞在する日数も含んでいるが細かく言うのは難しいので良しとする)」
兄ちゃん「そうなんだ。楽しんでってね」

私は第二外国語がドイツ語だった(今はほぼすっかり忘れている)ので、英語で『ドイツ語』のことは"German"ですが、ドイツ語で『ドイツ語』のことを”どいちゅ”って言うの本当だったんだな、と思いました(感動)。”どいちゅ”だけは可愛いから覚えてました。英語で喋ってても、自国に関する単語はドイツ語で発するっぽい。いい会話でした。ありがとうございました。

滞在ホテルは、古いけどシュテファン寺院のほぼ隣みたいな位置にあり地下鉄駅徒歩一分でロケーションは最高。ホテルの部屋についた途端、シュテファン寺院の午後8時の鐘がゴンゴン鳴り響き、窓から見える景色の日常感もあいまって、早くもウィーンに暮らしてる感がひしひしと押し寄せ感動。

ホテルの窓から

ウィーンは午後8時でもこんなに明るいんだなあ。

今回の旅の目的は、『ウィーンに暮らしてる気持ちになる』です。ありがとうございました。おやすみなさい。二日目に続く。

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