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母からの最後の贈り物

 「ぴこんっ!」 

 帰りのバスを待つ学生達がザワザワと騒いでいる中、私の目には一件のラインが飛び込んできた・・・・・・ 

                         母が死んだ

 何が起こったのか、私の思考は完全に停止する。考えろ、考えろと必死に脳内会議を試みるが、私の細胞達は命令無視を繰り返す、あぁ、これじゃあまるで下克上じゃないか。。。

 「先輩、大丈夫ですか!?」私の顔を見て心配気にする後輩の声に正気を取り戻す。どうしてだろう、私はそんなあからさまに態度に出しているつもりではなかったのに。
 一人での帰り道電車が急停止した、激しい雨が吹き荒れているらしい。「雨か・・・・」突然私のスカートに雨粒が落ちてきた。あれ?頬にも雨粒が・・・。そうか私は泣いているのか、そうだ泣いているのだ。全てをこの雨のせいにしてしまいたい、と思う私はわがままであろうか。

 手順通りに進む葬式、式の挨拶、参列者からのお決まりの励まし言葉、その全てを持ってしても、私が実感を感じるためには不十分なものであった。感じられないのだ。なぜなのだ、まだ夢の中にいるかのような錯覚、いや、、願望か。だってまだここにいるじゃないか。眠っているだけかも。おいおい、そろそろ起きてくれよ、このままじゃ燃やされるぜ?なんて思考はある瞬間打ちのめされることになる。そう、火葬された母の姿を拝見した時だ。数分前まで存在していたはずの、母の黒い髪の毛、細い腕、とにかく母を構築していたもの全てが私の目の前から消え去ってしまった。言うなれば残された私達は、自らの想像力を駆使するか、ホルダーに保存された写真を見ることでしか彼女の姿を確認出来ない、母は私達の記憶の中の住人になってしまったのだ、、、、。 これが【死】である。


 生前、母は様々なボランティア活動に精を出していた。小学生への読み聞かせ、水泳、陸上といった様なクラブのコーチ、聞いた話によると父との出会いも災害ボランティアであったことからよっぽどの人間好きであることが予想される。事実、周りからの評価も高く、社交的で明るく、優しい母というイメージを持たれることが多かった。だが私は知っている、母はそんなに人間的に完璧ではない。気分の波は激しく、落ち込む時は鬱病になるほどである。
 私はよく出来のよい弟と比較されては叱られ、自分を駄目な子供だと感じるようになっていった。母は私に厳しく当たり、幼いながらも私は思った、私は嫌われている、と。そしていつからか私は母との間に溝を感じるようになった。
 そんな私だからか母が周りから良い母親というイメージを持たれていることが少々不服に感じることもしばしばあった。彼女は良い人間では無い、ただ演じているだけなのだと・・・・。
 母が鬱病で家に引きこもっている間も、私は心配などしなかった。無理に良い人を演じているからそんなことになるのだと、半分あきれていたのだ。母はみるみる衰弱し、痩せ細っていった。
 さすがの私も心配になり、度々母を気にかけ、話しかけるようになった。
(おいっ、おまえは母の心配もしない薄情者だろうと思ったそこのあなた、私は本来心優しい人間であるという前提で考えていて欲しい笑) 母はそんな私の思いなど気にとめず、何度も追い返した、今は会いたくない、と。その度に傷ついた私はある言葉を母に投げかけた、、
 「そんなに私のことが嫌いなら産まなきゃよかったんじゃないか!あなたみたい人は結婚せず、一人で孤独死すればいい」と。
 そのまま振り向くこと無く家を飛び出した。それが母との最後の会話になるとも知らずに・・・・。
 その夜、母から一通のラインが送られてきたが、無視をしてしまった。私の中の母への思いは変わるどころか悪化したと記憶している、、。

 母が亡くなった日、私は母から送られてきたラインを見返すことにした。
「きつく当たってしまってごめんなさい。私は今自分が嫌いなのです。お姉ちゃんも、弟も、あなたのこともとても大切で大好きです。それだけは分かってください。」
  
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!!!!????

 あぁ、何だろう。この感情は・・・。何て言うんだっけこれ。どうやって表現するんだっけ。この時自分の感情を言い表せる言葉を知らない無知な自分を呪った。
 確かに母は厳しかった怖かった、だがそのおかげで今の自分があることも事実である。嫌々習わさせられた習い事のおかげでいくつか資格を所有し、忍耐強さを身につけた。母の影響ではまった趣味で多くの人と関わる機会を得た。そして私が今このように文を書くきっかけを与えてくれたのも紛れもない、母だ。彼女は子供たちの自主性を大切にし、やってみたいことに挑戦させてくれたのだ。
 思い返してみれば彼女の葬式には、小学生から大学生、母と同年代の様々な年代の人々が参列していた。総勢160人。元々家族葬を予定し、親族以外には葬式の日取りを公言していなかっただけに私たちは驚きを隠せなかった。だが言い換えれば、彼女がそれだけ多くの人に影響を与えたと言えるだろう。参列者たちはほとんどが彼女の教え子とその家族、つまり仕事や付き合いでなくプライベートで彼女が関わってきた人々だ。彼らは彼女の死を悼み、中には涙を流す人もいた。

 当たり前のことだが人間は一人で生きられない、誰かと関わり、何かしらの影響を与え合って生きている。それはもちろん悪影響であったり、良い影響であったり様々であろう・・、少なくとも彼女の場合は後者であったと予想される、いや断言しよう後者である。
 そんな母親を子供ながら誇りに思う、だがそれと同時に激しい後悔の念にも苛まれている。周りの人を、自分の子供を広い心で愛した彼女を深く傷つけた自分自身に対して大変遺憾に思う。
 もしあの某有キャラクターが違う次元から現れたなら、、、、、、なんて想像するだけ無駄なことはわかっている。だが願わずにはいられない。母の死から約一年たった現在でもこの無念さは消えないのである。


 皆さんは後悔したことがあるだろうか?いやすまない、愚問だな。この世に生を受け何十年も生きている中で一度も後悔したことがない人間が存在しているのであればかなり希少であろう。

 人は必ず後悔する、小さいものから大きなものまで。問題はその自分の中の後悔をどう処理するかである。

 これを前提として、別の問いをあなたに問いかけよう、今度は皆さんにじゃ無い、あなた方一人一人にだ、、、

 もし自分が後悔する前に戻れたなら、あなたは後悔を避けるために何をしますか?

 恐らく多くの人は即答できるであろう、私もそうだ。私のように言い過ぎてしまったことを後悔しているのであれば余計なことを言わなければいい、嫌なことをしてしまったのであればしなければいい、簡単なことである。だが現実は過去にタイムスリップなど出来はしない。だからこそ自分に非があると分かっているのなら謝ればいいのだ・・・・。え?そんなこと幼稚園で習ったって?分かっていますとも、私とてそんな分かりきったことを伝えるためにここまで長々と書いたわけではない。私が伝えたいことは、後悔の念を持った相手が死んでしまった時、その思いを晴らすために何をしたらよいのか、ということだ。もちろん相手が存在していないのであれば謝りようが無い、墓に向かって謝ったとてそれは相手に届いているのか明白では無い(これはあくまで私の個人的見解である)、言うなればこの気持ちを晴らす手段は無いのである。ここまで話せば勘の良い人は、私が何を言いたいのか分かってくる頃だと思う。私が言いたいことそれは、、、、、

【後悔しないように伝えたいことは今伝えろっ!】
 
 ということだ。人は当たり前に存在しているものを注意深く考えることはしない、まして感謝なんてしないのである。例えば、水道を捻れば当たり前に綺麗な水が出ることは有りがたいことなのだと、それが当たり前の日本人に伝えたところで大半の人は実感が沸かないだろう。だが急に水が出なくなったらどうだろう?その時初めて当たり前に綺麗な水が出ることは有りがたかったことに気付く・・。

 この文章を読んでくれたあなたに言いたい、今あなたが当たり前に感じていることがいつ無くなってしまうか分からない。10年後、1年後、もしかしたら明日かもしれない・・・。だからこそ今あるこの瞬間を大切にし、周りの人に伝えたい感謝や謝罪を先延ばしにすることなく伝えて欲しい・・・!
あなたが行き場の無い後悔の念に苛まれないことを願っている。そして同様に私もこのことを念頭に置いて、生きていこう。

 それでは、皆さんカップを持って、、、お互いのより良い生活を願い、、、、、
     
               乾杯っ!!!!
         
       


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