過去に囚われたまま。いつ糧になってくれるの?

この世界生きるの難しい

ここ最近調子が悪かった
過去に囚われて未来に不安を抱いてとにかく“今”を生きれていなかった。

それで、考えても考えても答えなんてないんだからとりあえずこの思考をストップしようと思って、小説をたくさん読んで色んな人の人生をキャパオーバーした脳に流し込んでいた

かえって色々な事を考えざるを得なくなって、無意識に自分と向き合った気がする

忘れていた過去の些細なこと、信じるのはやめようと思ったり、人間ってこんなに都合が良いんだなと失望したり、私は損をする側の人間なのだと認めた方が楽だと、それが“諦める”ということなのだと思ったこと。

ここから私の小学校時代の誰が悪いとかないけど色んな人が不憫でならない悲しいエピ


小学生の時、3人で一緒に帰ろうと約束していたのに私を置いて、私の親友と帰られたことがあった。そして私の悪口を言っていた。
そしてそいつは、親友ちゃんがあなたのことこんなふうに言ってたよ?信じられないよねー友達の悪口言うとか!消えてほしい、と
双方に、あなたの悪口言ってたよ?って。悪口言ってんのお前だけだから

悪口伝書鳩系女子のタチ悪いやつ。
本当は悪口なんて言ってないのに。親友である2人の間に入り込んでそれぞれに傷を負わせてから自分が味方であるかのように振舞って、信用させて、仲を引き裂いてからどっちかを自分の親友とする。そして選ばれなかった方は真実を知った時ショックを受けて人間不信になったり学校に来れなくなったりする。そういうことを繰り返していた性格の悪い女がいた。

田舎の1学年1クラスしかないところでそれをやるんだからもう呆れちゃうよね
人間関係ぐちゃぐちゃにしやがって
やられた方は逃げ場ないの分かってない?自分だけ良ければいいんだな

この辺を親の仕事の都合で転々としている転校生で、どうやら親からあまり愛されてなかったようだった。両親は弟ばかり可愛がって、姉であるその子を相手にしていなかった。そういう心の傷を承認されることで埋めていたのかもしれないと思ったら
こんな事思う私の方が性格悪いかもしれないけど可哀想って思った

中学生になったら先輩のこと、〇〇先輩!って呼ぶの?笑こわいね!笑何部に入ろうかな〜って一緒に学校に向かいながら笑ってたあなたはもういないのかな

小学生の時が1番荒れていたように思う。自分も周りも。
特に小5〜6くらいの時。色んなことが分かってきて、でもまだ子ども特有の残酷さと不器用さを併せ持ったまま、分かった気になって、自分はもう子どもじゃないと強がって、自分の正義を振りかざして、視野が狭いから“そうじゃない人”もいるということに考えも及ばない

その時の担任の先生は本当に運が悪かったと思う。その時の印象で言うと、ちょっと変わってる人だった。今考えたら、別にちょっと上から目線なのが態度や言葉に出てしまっていただけだ。でもそれは大人であり先生であるあの人の私たちに対する自然な感情だったと思う。でも小学校高学年という生きものは“子ども扱いすんな”というプライドを持っている。しかも大人のそういう自分たちを下に見ているような態度を見抜く感性は鋭い。だからすごく嫌われていた。

私たちのことを思って、たのしい企画を考えてくれたり、話し合いでなかなかまとまらない私たちに折り合いをつけるって言葉知ってる?〜で大事なんだよ〜とかそんな言葉を教えてくれたり、いい先生だった。

私たちが幼稚だった。けどそれもまた年相応の幼稚さだ
先生の悪口を言ったり、教室の鍵を閉めたり、それはいじめだったんじゃないか?と思う。

先生も生徒もお互いを嫌っていたから、生徒間で問題が起きた時も生徒は先生のアドバイスに聞く耳持たず、先生も私たちを半ば諦めていた

それによって生徒間の問題も上手く処理されず先生の対応に納得いっていない被害者も、その保護者もいた。
今もあの先生は酷かったと思っている生徒、保護者は多いだろう。

私が今こんなに俯瞰的にこれを書いているのは当時からこう思っていたからだ。
でも、私では何も出来ないと思って、友達といる時は、そうだよねーまじキモいよねーって適当に話合わせて、先生には反抗せず優等生をやっていたので1番タチの悪い傍観者なのは私かもしれない。

中学の時はその日その日をやり過ごすので精一杯だった。↑みたいな自分ではどうにもできないしするつもりもないけどあーあなにやってんだよ、絶対あの子傷付いてるよ…なんでそんな鈍感なの?それとも悪意なの?って自分に関係ないところでいくつも起こっている“嫌な感じ”の場面から意識を逸らすことで体力を消耗していた

そうやって、色んな人間らしい醜さを無意識に観察してしまう癖があったから、
逆に自分がその中にいる時に、どう振る舞えばいいのか分からなくなった。
どう振る舞っても誰かが傷つくと思ったから。人を傷つけることは悪だと信じて疑えなかったから。
そうやって脳をフル回転させていたら自分が何を思っているのか分からなくなった。


今思えば馬鹿だなと
もったいないなーと思う。
そうやって先回りして考えすぎることで成長する機会を失っていったのかなって。
失敗から学べなかった。
今失敗しても許されるのはどのレベルまでだろう

今更こんなこと書いたって、あの時に戻れるわけでもなければなにかが変わるわけでもないけど

後悔っていうのか分かんないけどそんなような気持ちだけどその時はその時の最善を尽くしてたんだよな

最善を尽くしてたけど、私は今生きづらくて生きづらくて、誰にも言えずにひとりで苦しんでリスカして賢者タイムしてnoteにだらだらこんなこと書いてて

意味わかんないなー
考えれば考えるほど自分が愚かで惨めだってことしかわかんなくなってきて

自殺しようとしている人がいたら当たり前に思いとどまらせようとするのはほんとに良い事なのかなって

生きることはほんとにいい事なのかなって

もうここまで来たら果てしないよね
あんまりメンタルの調子が良くない時にこんなこと考えてても悪い方にしかいかないんだからやめればいいのに。

答えなんて分からないのに。

こんな過去にいつまでも囚われているわけにはいかないのに

ここで私のアイデンティティが形成されていったかと思うと恐ろしいね

歪なアイデンティティを矯正しようとしてるから苦しいのかな

歯の矯正もね、あれ痛いもんね

こんなことばっか考えすぎて、なんか、
自然に見えるように意識して生活してる感じがして、疲れる

そうすることでうまれる不自然さもあるけど

考えることで自分を守ってきたから、
え?…笑笑みたいな雰囲気に過敏になって
嫌われることが怖くなって何も言えなくなって本来の自分が分からなくなって

自分が恥ずかしい
恥ずかしいっていう気持ちへの恐怖が増えた

考えすぎて自分がなんでこんなこと考えてるのか、何を考えてるのか、この思考はどこに向かっているのか、考えても意味無いところまで考えはじめて、意味ってどういう意味?とかもう哲学なんだよ

もうどうしたらいいか分からない、考えたくないのに止まらない

起きてるだけで疲れる
永遠に眠っていたい
意識を手放したくて仕方ない

うまく自分の関係あること、大事にしたいことに焦点を当てれて、いらないことにうまく目を瞑れる人がほんとにすごいなと思う。

他人にも自分にも期待するのはやめるべきなのか?

もう分かんない







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