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読書という入浴

案内された席に座ると、木の温もりと優しい照明がほんのり漂っていた。

水気を含んだテーブルの柔らかな木肌が、しっとりと手に馴染む。座った客の誰をも迎え入れ、深呼吸へと誘い、ほっとひと息 癒しとなる。


背丈の高い壁の向こうからは、湯気が立ち昇っている。本日の味噌汁だろうか。

不規則な声粒たちが、雑音となって耳周りを通り過ぎていく。その雑音がまた、妙に心地良い。

そのまま、持って来た本をそっとテーブルに置いて、木の湿気に馴染ませた。木と紙が呼応しているのを感じる。

その呼応を感じれば、ここで読むべきだと思ったし、ここで読まれるべきだと思った。多分、紙と木たちもそう思ったに違いない。

テーブルの木材と表紙の色が同じだった。素材的な調和だけでなく、色彩も醸し出す雰囲気も調和していた。

いくつかめくって、文字を眺める。
なぜだろう。その文字たちが、紙に印刷されているのか木に彫刻されているのか、だんだんわからなくなってきた。つまり、本とテーブルの境界がわからなくなってきた。

空間が歪んでくる。

椅子も、引き出しも、私よりどんどん大きくなってきて、自分はどんどん小さくなっていくようだった。不思議の国のアリスのような体験なんて、普通に生きていたら日常生活で味わうことなどあまりないだろうと思っていたけれど、今の私は完全に、不思議の国のアリスだ。

木も紙も、私の周りは一体化し、水気を帯びた大きな一つの木箱の中に入り込んだような感覚になった。

ひのき湯にでも浸かっているかのような錯覚が始まった。

店にいるのか、ひのき風呂にいるのか。


それはとても気持ちの良い、あたたかくて柔らかな浴室だった。

私はどんどん読み進めた。
どっぷりと本に浸かった。
本は、熱い湯をどんどん滲み出してくる。
知らなかった情報や唸るような表現がその湯にたっぷりと含まれている。

満ちていく。
満たされていく。
火照っていく。

あぁ、のぼせるまでこうしていたい
読書という入浴を。


料理が運ばれて来るまでの間、しばし、この知の湯を享受しよう。

陶器のお茶に手を伸ばした。木と紙よりずっと濃い色の、透き通った茶色いそれは香ばしく、小さな温泉のように手元で湯気を立ち昇らせる。

なんというか、すべてが安らぎそのものだった。

読書は入浴のようだー

私はゆっくりと本を読み進めた。


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