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【IDと教員研修11】アンドラゴジーって?

前回の記事では,ARCSモデルについてのまとめをしました.研修を設計する際の意欲を喚起するための工夫です.
各記事の中でも,とりわけ教員を対象にした研修については,授業との比較をすることで分かりやすさやイメージの湧きやすさがあると考え,「もし授業だったら」という例示を入れています.

しかーし,子供に向けた「授業」と,主に教員という大人(成人)に向けた「研修」とでは,対象の特性には違いがあります.

アンドラゴジー(Andragogy)は,そんな違いに着目して,大人(成人)の特性を生かした学習支援論のことを指します(概略は,IDの道具箱を参照)


アンドラゴジーは,ギリシャ語で成人を示す語「aner」と,指導を示す語「agogus」を組み合わせた言葉です.詳細が知りたい方は,マルカム・ノールズの「成人教育の現代的実践」(2002)を参照してください.
※記事を執筆している時点では,Amazonでの取り扱いはないようです…

アンドラゴジーと比較されるのは,「ペタゴジー(Pedagogy)」です.子供への教育(あるいは教育学)ということです.

こういう考え方もあるかもしれません.
「何が大人で,何が子供であるのかは,結局のところ国によっても違いがあるので,分けて考えることなんてできるの?」

確かに,そうです.むしろ,分けて考える必要性はどこにあるのか?

この辺りは,学習内容や学習者の特性に関する実態に応じて判断をする必要がでてきます.例えば,初等中等教育において学校に通っている児童生徒は,学習指導要領によってその学習内容が規定されています.
これに対し,大人(成人)は,職種も様々であったり,出身校もバラバラであったりするため,学習経験に関しては,同一校で学習する集団とは大きく異なることが考えられます.

このような,学習者のおかれた状況等を踏まえ,おおよそこのような学習者に共通する特性に合う学習とはこれだ,というのがアンドラゴジーです.具体的に,その特性は4つ示されています.

自己概念

自己決定的,自己主導的であろうとする特性です.
「時間を使って自分のある程度知っている話を聞き続けるくらいなら,自分で考えた方がよい」
「自分で進めた方が早く効率がよいかもしれない」

研修でこのように考えた経験はありませんか.私は時々あります苦笑

講義型の研修を否定することと関連させるという意図ではありません.大人になり,ある程度自分の中にある知識と比較できるようになると,受動的に話を聞くよりも,能動的に考えた方が自分のためになるという特性かもしれません.

自己概念に対する援助のポイントは,「自律的・自己決定的なニーズに応える」ことです.自分の考えを見つめたり,自分で学習の方向性を決めたりできる流れに工夫することが有効です.

経験

経験が蓄積されていくという特性です.
たいへん当たり前のような内容ですが,子供の学習と比較すると,様相の違いがわかるかもしれません.つまり,知識の蓄積とは異なる様相であるということです.

小学1年生の子供にとって,習っていない計算方法に挑戦させても,それは「分かりません」となってしまうことが予想されます.これは,基礎基本の知識の習得に重きを置かれている学習だからです.

大人の場合はどうでしょうか.当然,計算方法のような問題に挑戦することはありませんが,例え「分かりません」となっても,大人はその様々な経験から共通点を見つけ出そうとしたり,解決策を考えたりすることがあるのではないでしょうか.

大人にとっても,基礎基本の知識はあります.例えば接客マナー等は,業務を進める上で大切なスキルです.
しかし,大人にとっては,その経験の多様さと豊かさを学習資源にしていると考えた方が,研修はうまくいくことが多いかもしれません.
同じような経験,つながる経験等を問い,「あなたならどうしますか?」と学習資源を想起させるような工夫ができそうです.

準備状態(レディネス)

研修を行う上での学習内容は,大人にとって,究極は個々に規定されます.そのため,事前にアンケートやヒアリング等をすることで,何について学びたいのか,何についての悩みがあるのかといった,学習内容につながる情報を得ておくことが考えられます.

これは,社会的役割に関する課題ともいえます.どんな業務課題を抱えているのかといった,リアルなニーズの把握をすることが大切です.

教員研修であっても,単に国の動向や学習指導,生徒指導に関する全般的な内容にとどまることなく,受講者の状況を考慮した学習内容の工夫が考えられます.

方向づけ

生活中心あるいは問題領域中心であり,応用の即時性を求める,といった特性です.
分かりやすく言えば,「すぐ使える内容を欲する」という特性です.

理論,理論,理論…と続く講話を聞いていると,一体自分は何を学んでいるのだろう,と,ふとしたメタ認知が働くことがあります.一生懸命学んでいる感覚はあるのに,それは何に生きるのだろう,と考えてしまう自分への気付きです.

このような場合は,課題達成中心の演習を入れるなど,学習内容の生かしかたを考えられるような展開に工夫することが考えられます.やはりこれも,「あなたならどうする?」という,経験に関する尋ね方になりそうですね.

しかし教員研修に限らず,「使える内容」を提供することは重要であるものの,それが「すぐ」使えるものに絞った方がよいのかは慎重な判断が必要になりそうです.「すぐ」使えるということは,How toが多くなるともいえます.手軽で,明日からでも使えるHow toはきっと,受講者にとって嬉しいお土産になるはずです.ただ,そのお土産は明日使いきってしまうものかもしれません.

授業研究,生徒指導等に係る研修では,教師の「観」に影響する内容も多くあります.自分の日頃の指導を見つめ,アップデートを図っていくような研修です.このような内容の時は,How toだけでなく,Whyを考える場面も必要です.そのため,「すぐ」にだけ拘らず,「じっくり考えてみてください」と促すような内容を入れていくことも考えられるでしょう.

次回は,具体的な研修設計を考えるにあたり,「ID第一原理」を例にして研修内容をイメージしてみましょう.

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