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小川洋子『密やかな結晶』を読んだ

最近は小川洋子さんの小説を片っ端から読んでいます。今は半数ほどを読み終わったところです。
『密やかな結晶』は1999年に刊行され、新装版が2020年に出版。私が手に取ったのは新装版の、名久井直子さんによるカバーデザインが美しい文庫本です。以下ネタバレを含みます。
まずはあらすじを引用します。

その島では多くのものが徐々に消滅していき、一緒に人々の心も衰弱していった。
鳥、香水、ラムネ、左足。記憶狩りによって、静かに消滅が進んでいく島で、わたしは小説家として言葉を紡いでいた。少しずつ空洞が増え、心が薄くなっていくことを意識しながらも、消滅を阻止する方法もなく、新しい日常に慣れていく日々。しかしある日、「小説」までもが消滅してしまった。
有機物であることの人間の哀しみを澄んだまなざしで見つめ、空無への願望を、美しく危険な情況の中で描く傑作長編。

講談社サイトより

「消滅」とは、概念と記憶の喪失のこと

『密やかな結晶』の舞台となる島では、次々と「消滅」が起こる。あるものが消滅すると、島の人々は、それが何に使うものだったのか、どういった意味があるのかを忘れてしまう。そして消滅から時間が経つと、やがて消滅したものの存在自体を忘却してしまうのだ。
例えば「カレンダー」が消滅すると、人々は日付を気にしなくなり、春夏秋冬の概念もなくなる。そして島の季節は「カレンダー」が消滅した時点から変化しなくなり、延々と冬になってしまった。

島の人々は消滅に関して、否定的でも肯定的でもない。ただあるがままに「そういうもの、仕方ないこと」として消滅を受け入れている。
何かが消滅した時には違和感を感じるようで、辺りを見渡した後に滅したものが何だったのかに気がつくのが常だ。

消滅が起きた後、彼らは「秘密警察」の指示に従って消滅したものを物理的に消し去る。運べるものの場合は川に流し、大掛かりな場合は燃やす。
そして自分の身体の一部が消滅した場合は、ただ放っておくのだった。消滅したものは、たとえ自分の身体のパーツだとしても、例外なく存在ごと忘れてしまうので、放っておいたらそのうち全く気にならなくなる。

ただ、島の中にも消滅を感じない人がいる。それが主人公(小説家)の担当編集のR氏と、主人公の母親。
消滅を感じない人々は秘密警察によって発見され次第、どこかに隔離されてしまう。秘密警察のあり方は、ホロコーストの状況ととても似ている。隔離された人々がどうなったかは、誰にもわからない。母と、友人を連行されている主人公は秘密警察の実体を掴もうとするが、最後まで謎のままだ。

消滅を感じないという性質は、遺伝するものではない。血縁も関係なく、ただ消滅を感じるか、感じないかという点だけで選別される。この点もユダヤ人が、ユダヤ教を信じるか、信じないかというところで判断されるのと似ている。
つまり消滅とは、概念の消滅の話であり、物質的に確かめる術のない、非常に複雑な現象として描かれている。

消滅を感じないR氏は、主人公に過去に消滅したものを見せる。「既に消滅したものに触れ、記憶を呼び起こす練習を続けるように」と訴える。R氏は消滅させないこと=記憶しておくことを正義と捉えていて、主人公が忘却しないように試み流のだった。
しかし、主人公をはじめ、消滅を感じる島の人々が、一度消滅したものを思い出すことは絶対にない。消滅したものの存在をなんとか朧げに思い出せたとしても、使い方や、それを使った時のかつての感情は思い出せない。

「消滅したものを思い出すように」と言われた主人公たちの戸惑いから考えると、島の人々が消滅したものを街から物理的に消していく作業は、一見秘密警察に強いられているように見えて、実は自然な行為なのではないかと思う。人々にとってみれば、消滅は意味のわからない異物を取り除いている感覚なのだ。
たとえ消滅したものを捨てろという指令がなかったとしても、消滅したものは使い道がわからないのだから、やがては子供の頃のおもちゃのように、埃をかぶりって朽ちていく運命なのではないかと思う。

消滅が起きる世界は、豊かさを制限された社会である

そうしてみると、『密やかな結晶』で起きる消滅は、貧しさをイメージさせる。実際に、季節が冬だけになった島は作物が取れず、食糧難も加速していくわけだが、消滅のある世界そのものが戦時下の物資を禁ずる指令や、「ぜいたくは敵だ」という標語下での社会を思い起こさせる。
「ぜいたくは敵だ」という標語は、苦戦していた日本軍がその後の物資不足を懸念して贅沢品を統制した背景がある。まだまだ国民レベルでは食糧難には陥っていなかった頃のスローガンだった。

ぜいたくを禁じられると、カルチャーは消える。コロナ禍を経てからは実感をともなって理解しました。
『密やかな結晶』の島の人々の態度は、良く言えば温厚、肯定的、穏やか。彼らが反抗せず、消滅に適応していくにつれて、島からはあらゆるものが消え、生活は質素になっていく。人々は適応能力が高いから、肉が手に入らなくなっても野菜を食べ、自分の足が使い物にならなくなっても引きずって歩いているうちに、それが自然だと受け入れ始める。

島の人々に「本当にそれでいいの?」と途中で何度も言いたくなるのは、私が消滅を感じない側のエゴなのではないかと、分かり合えなさを思い知らされる。

消滅を感じる人と感じない人は、憎みあわない

消滅を感じる人=主人公は、消滅に従い、いろいろなものを忘れてしまうが、街で自由に生活できる。
一方で、消滅を感じない人=R氏は、消滅を感じないことがバレると秘密警察に捕まってしまうので、隠し部屋の中に閉じこもっている。

消滅を感じない人は強制的にどこかへ連行されてしまう。消滅を感じない人からしてみれば、消滅を受け入れている人々に対して、憎悪の感情が芽生えても良いはずだ。
彼らはどうして憎みあわないのだろうか。

一つの仮説として、お互いに可哀想だと思っているのではないだろうか。
虐げられる側と虐げる側での軋轢は、虐げる側 / 虐げられる側が特権階級だったり、良い暮らしをしていたりするから生まれるのだと思う。

消滅を感じる人・感じない人は、秘密警察を通じて虐げあっている。消滅を感じる人の生活は、消滅があることでより質素になっていくし、消滅を感じない人は物理的に排除される。秘密警察がいなければお互いに共存する道もあり得たかもしれないが、秘密警察という制圧者によって、双方ともに居心地の悪さを感じているというのが、『密やかな結晶』の世界だ。

消滅を感じる人は、感じない人のことを可哀想だと思い、感じない人は感じる人を可哀想だと思う。相反する性質を持つ二者は、圧倒的な分かり合えなさを前に、どうにかお互いが近づこうとし、争っている場合ではなかったのだ。

対立の核は目に見えない

彼らの生活を脅かしているのは、消滅そのものであり、虐げる側のせいでも虐げられる側のせいでもない。
こういったメッセージが、対立しない双方の様子から読み取れる。読んでみてからハッとしたが、とても鋭い考察だと感じた。
現実に溢れているさまざまな対立についても、このように考えられれば、少なくとも個人レベルで傷つけ合うことはなくなる。虐げる側 / 虐げられる側 という対立は結果的に起きたことであり、そもそもの原因はどちらにもない。
目に見えているもので対立をとらえて、無闇に個人を恨んではいないだろうかと考えてみたい。

物語る豊かさがなくなったとき、世界は消滅する

消滅を感じる人=主人公は、消滅に従い、いろいろなものを忘れてしまうが、街で自由に生活できる。
一方で、消滅を感じない人=R氏は、消滅を感じないことがバレると秘密警察に捕まってしまうので、隠し部屋の中に閉じこもっている。

前述の構図は、後半で見事に反転する。
消滅を感じる人々の、身体が部分的に消滅してきたことをきっかけに、物語は大きく展開する。この部分は、主人公が作中で書いている小説の内容と合一し、まとめ上げられている見事な部分なので、本文を読み直してみると楽しいだろう。

消滅を感じる主人公の身体が不自由になり、身動きをとることも難しくなると、R氏は主人公を持ち上げて移動させたり、あれこれと世話してくれるようになる。
そして最後には、主人公は身体を動かせないだけでなく声も上げられなくなり、まるでただの物体のように変化してしまう。人々がみな物体化して迫害の危険がなくなった時、R氏が隠し部屋から出ていくところで『密やかな結晶』は終結する。

物語の世界では常に過去が語られる。
だからこそ、一人称単数で描かた『密やかな結晶』は、主人公が過去の記憶を蓄積できなくなったとき、物語の語り手を失い、必然的に幕を下ろす。主人公の瞳は最後、その場から退場するR氏を見送るしかないのだ。

私はこの結末を目にした時、なんて美しい小説なんだろうかと思った。
小説が抱える、構造的な制約と物語の展開とが合致して、結末を運命づけている点に感動した。

私はまだ結晶化していないだろうか

隠し部屋を出る時、R氏はごく自然に主人公を隠し部屋に置き去りにしたまま去る。この部分は、消滅を感じる人々がこれまで何度も消滅したものを淡々と捨てていた場面と重なる。まるで子供の時に遊んでいたおもちゃのように、時の流れととものに意味を持たなくなったということなのだろう。

消滅とは、概念と記憶の喪失のことだと最初に述べた。
R氏の最後の行動によって、消滅を感じる人と感じない人とは、人種や脳の作りが違うとかいう物理的な性質の差があるのではないということが、より明確になったと思う。

本来的には、消滅を感じる人も感じない人も、物理的な差がなかったはずなのに、一方は自由を求めて外に出ることができ、もう一方は二度と自らの意思を表明できない静物になってしまう。
このアイデアは、小説の世界を維持している設定というだけには留まらない。

「密やかな結晶」というのは、主人公の母親が彫刻の中に閉じ込めた過去の品々のことだろう。そして隠し部屋に入ったまま、忘却が進み身動きが取れなくなった主人公のことも示す言葉だ。
結晶は、固体であり、何かの過程を経て出来上がったもののこと。それ自体で完結して閉ざした物体だ。

結晶化してしまった人々のことを考えると、消滅とは思考停止することの象徴のような気もしてくる。
ただ「そういうものだから」として消滅というショッキングな出来事を受け入れ続け、自分の身体まで消滅してもなお、「なんとも思わないの」という姿勢で居続ける。
無関心と諦観がもたらす順応が、のちのち取り返しのつかない結果を引き連れてくるという結末は、生々しく恐ろしい。

私という人間の内面をとってみても、これまでそうしてきたという理由ともつかない惰性と頑固さで、固くなってしまった部分は多々ある。
取り返しのつかないところが凝り固まりはじめていたとして、私はそれに気づけるだろうか。
惰性で過ごしやすいようにと作り上げた場所で、他の誰かの自由を侵害してはいないだろうか、としみじみ怖くなる話だった。

本日も読んでいただきありがとうございました。
皆さんの感想も教えていただけると嬉しいです!



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