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居心地が悪い#左右「やめてくれ」


「考えすぎる」性格ゆえに、あまり理解されない。

本屋のレジで「あなたがその本?w」と思われているのではないか、と。
喫茶店に行くと「その年齢でアイスw」と笑われているのではないか、と。

そんなことを誰かに話すと「誰も見てないよ」と言われる。

言われなくても分かっている。私が一番分かっているのだけれど、生れ落ちた瞬間から考えすぎて、居心地が悪いのだ。

※その件についてはこのnoteにも記載。

こんな”居心地の悪さ”は、自意識過剰という五文字で凝縮されてしまう。
自意識過剰について、「自分のことしか考えてない証拠」とまとめられてしまう時があり、悲しくなる。このしんどさ、自分のために持っているならば、もっと他に力を使うだろう。人生のどこかで、トラウマ的衝撃体験があったから自意識過剰が生じていること、どうかゆるしてほしい。

しかし、世界はまだまだ広く、自意識過剰を「文章」や「音楽」に変えてくれているヒーローがいるために、私は今日も頑張れている。

そのヒーローたちについて、このnoteに勝手に綴っているわけだが、私が年に二回くらいのペースで救われているバンドがいる。左右だ。

花池洋輝(ヴォーカル/ベース/ドラム)と桑原美穂(ヴォーカル/ギター)の2ピースバンド。

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この写真の地点で、危うさを感じる。それは「この人たち、なんか企んでんな」という愉快さに近い危うさ。名前が「左右」であることにも、私は救済を感じる。大衆に受けることを狙っていないネーミングである。(多分)

ハンバートハンバートと同じ構成なのに、なんだか違う。私は両者ともに好きだ。しかし、左右は、晴れ過ぎて逆にしんどい日曜や、屈託のない笑顔で青春している学生らを見て「あそこには一生入れない」と落ち込む一人の夜に寄り添ってくれる。と、ここでもう既に、理解されない感覚が生じている。

左右に、すごい一曲がある。「やめてくれ」だ。

なんでそこで演奏してんねん!?とツッコみたくなる。何度PVを見ても、冒頭から爆笑する。同じリズムを何度も繰り返す。パンクなお経にも聴こえる。

居心地が悪い
みんな笑っているから 居心地が悪い
みんな泣いているから 居心地が悪い (略)
みんな普通だから 居心地が悪い

美しい。ここまで居心地の悪さをストレートに歌ってくれて潔い。
「居心地がよくなること」をとうの昔に諦めている。笑う。

しかし、徐々に不穏さを増す。笑っていられなくなる。

しっかり囲まれている 屈託のない真顔に
そしてその中心にいる俺が 
つぶれた形状をしている つぶれた形状をしている

俺はそういうことされるのが嫌だからいますぐやめてくれ
俺はそういうことされるのが嫌だからっていま言ったからな

もっと見てくれ  俺の被害者面を
もっと近くで見てくれ この俺の被害者面を
つぶれた被害者面を つぶれた被害者面を

「普通」に囲まれ、浮いてしまった瞬間の冷や汗を思い出す。

なんでそんなマイナス思考なの?
なんでそんなに風に考えるの?
そういう考え方、変だよ!

もうこれ以上見ないで、これ以上責めないで!

これがピークに達した瞬間、一種の無敵感に苛まれる。

あん?お前そんなこと言うが、俺の気持ちが分かるのか?
そういうお前はどうなんだよ!
なんでそんな風に言われなきゃならんのだよ!

そう言い返したくなる時、顔がぐちゃぐちゃになるほど泣いている。
この「つぶれた被害者面」こそ、自分の中で、虫唾が走るほど最も嫌いな自分の顔だ。でも、言い返せない分、見て欲しいと求めてしまう卑しさも、唾棄するほど嫌いだ。

左右は、人間の矛盾した卑しさに気付いている。
心の奥に潜む、誰にも見られたくない影を、キャンバスにぶちまけるかのごとく歌にする。

「ハハハハハ人間そんなものなのだハハハハハ!」と予断を許さない鋭さ、不穏さが、聴く者を自問自答へと向かわせる。


だがしかし。この「自問自答」すらも、彼らの画策のうちだと思えてならないのだ。


ちなみに、NEWSの増田さんは、左右のファンであるらしい。
NEWSファンに「増田君を笑顔にしてくれてありがとう」という手紙をもらったことを薄ら笑いで花池さんは語っていた。

花池さんの気持ちが痛いほどに分かる。世間はこうも世知辛いのだ。

でも、名も無き私が救われているのも間違いないのだ。


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