初デートの夜に通った道を、1人で辿った
彼くんとの初デートは前日の24時すぎから電話をして決定して(時間としては当日)、新宿〜六本木〜東京タワー〜東京駅までプランも無く、1日で4万歩も歩いた。おかげで次の日は生まれて初めて、歩いただけで筋肉痛になった。
さすがに夜はヘトヘトで、東京タワーに着いた時には電車に乗って帰りたかったけれど、「せっかくだから東京駅まで行こう」と最後の最後まで歩き通した。
歩きすぎて足は本当に鉛のようだったし、頭もふわふわしてきた。水を飲んでも休まらず、意識がぼーっとするような気も何度もした。
そんな道を1人で辿ることにした。
思い出に浸りたいなんてものではなく、東京タワーになんとなく行きたくなって、「もうちょっと歩きたいな」と思った時に、あの時の道を辿ろうかなと思っただけ。
生まれてからずっと神奈川(東京へのアクセス良さげ)な場所に居るのに、東京には興味もさっぱり無かった私は初デートの時、彼に頼りっぱなしでただ着いていくだけだった。だから道なんて全然分からないけれど、なんとなくの記憶で辿った。約1年半前のこと、思っていたよりも覚えていることにちょっとだけ驚いた。
今日、歩きたいと思ったのは、なんとなく整理ができていなかったから。一昨日にライブ、昨日はその疲れでくたくたで、今日の昼間にやっと出る気になった。いや、本当は今日も家でぐったりしていたい気持ちだったけれど、快適な秋晴れが私を外へと誘い出した。
ライブも種類やアーティストによるのだが、一昨日のライブはいろんな方面の刺激が多かったから、かつてないほど疲れた。もちろん楽しかったという良い意味で。
くじらさんは私が書いているようなものを曲にされている気がする。メッセージが強く、生歌はより響く。くじらさんはめちゃくちゃ目を合わせてようとするし、歌詞に合わせて表情はコロコロ変わる。更には前から4列目のど真ん中という距離感だからより、刺激的で感じるものが多く、そこで生まれたいろんな感情が整理できていなかった。だから歩きたくなったんだと思う。
私の好きなくじらさんは、近い価値観、感じ方、考え方を持つ人だと思う。共感できるから好きだと言える。そう考えると彼くんとはどこまでいっても正反対でならない。
近いものは食の好みくらいだと思う。
おそらく私は、他人との境界線が薄く、自分の常識が一般常識だと思ってた。自分が良いと思ったものはみんな良い。悪いと思ったものはみんなにとっても悪い。そんなことはないと思いつつ、きっと無意識のうちにそう思ってた。
だから常識に雁字搦めになっていたんだと思う。
彼くんの常識と私の常識は驚くほど違う。
そして、私の常識は一般的な常識に限らない。
そんなことが分かってきてから、私は自分のことが見てえきたような気がする。自分の長所、得意なこと、あるいは短所で苦手なことも。
そんな彼がなぜ、私のことが好きなのか、何がいいのか、ずーっとさっぱり分からない。少なくともこれまでは、私(彼女という存在)の良さがなんとなく感じられた。これまで付き合った人、といっても母数は全然いないので括って良いものかとも思うが括ると、話を聞くこと、引っ張ってくれることを求めてられたと感じる。それと性欲と。そんな程よく甘えられて、話を聞いてくれて、余計な口出ししなくて性欲を満たせる存在であることを、かつては求められていたように思う。そしていざ私が話すと、自分勝手、わがまま、どうして道を変えるの?と私の気持ちは踏みにじられた。対話をいくら重ねても意味が無かった。
でも彼は私に話すことを求めた。
納得するまで話してくれる。私は何か思った時には話せと求められる。今までは話さずに抱えていたこと、それで丸く収まると思っていたことを、伝えてと言ってくる。
そもそも好きなもの・趣味は正反対ってくらい違う。性格だって多少は似てる部分を感じるにせよ、大きな部分は違うように思う。
彼は私のことを尊敬してると言ってくれる。
私も彼のことを尊敬している。
私はこれまで“尊敬”というものは“その人物の全ての面において”だと思っていたけれど、そんな必要は無いことに気づいた。この人の、この部分を尊敬する、で良い。そしてそんな尊敬できる人よりも、自分が優れるものもきっとある。
彼の得意なものは、きっと私は苦手で
私の得意なものは、きっと彼にとって苦手なもの
なんだと思う。
私には苦手で彼には得意なことに、私は尊敬し憧れているし、おそらく彼にとってもそんなんだろうと納得させている。時々聞いたことはあるが、話してくれても私はうまく腑に落ちず、はぐらかされることもあった。だから推測だけれどそんな気もするし、そうであって欲しいと願う。
散歩しながら、東京駅へ向かう。
次第に感じるビル群、都会の香り、空の狭さに、昔ほど息苦しさは感じなくなった気がする。
私ははっと驚いた。
昔ほど息苦しさは感じ無くなっているらしい。
あれだけ嫌だった東京の街に、思い出が募っていく。散歩しながらも、デートで来た場所をいくつか通る。駅名、場所、景色。「あの日楽しかったな」と想いを巡らす。私の居場所が東京に移ってきている。私は東京の何が嫌だったのだろうか。
どんなものも、なんでもあること。
お金さえ出せばなんでも手に入ること。
他人に対して無関心すぎること。
冷たい世界であること。
息する場所がない、逃げ場のない苦しさ。
確かにこれは今でも感じるけれど、東京で私は息する場所があって、あたたかい世界もあると感じられ、お金を出しても手に入らないこともあるんだと、なんとなく感じる。
でもたぶん、思い出が募っていくことが一番、東京への嫌悪感を晴らしてくれてるような気がする。
東京タワーは夜のドライブで見る時がいちばん綺麗だと思った。
だんだんと彼の職場も近くなる。
「このビルだよ」と、何度か教えてくれたけれど、私には結局どのビルなのか分からない。全部同じに見える。
試しに、ここに毎日通うことを想像する。
けれど、私は自分がここに仕事に来る想像はひとつもできない。無理だ、と思う。きっとその直感は正解だろう。スーツを着た人で溢れかえる道、高すぎるランチ、営業、事務、エンジニア、管理…とくっきり組織化された場所で、言われたことをするだけの仕事は私には苦痛でならない。きっちり、かっちりはできないんだ。
でもやっぱりここは、キラキラしている気がする。
たくさんの夢や希望(や思惑も)を詰め込んだ街なんだと改めて思う。
東京のど真ん中で働くこと
凄いなと思いつつ、私にはきっとできやしないから、そんなところで働く彼くんはやっぱり凄いと改めて思う。
私は住宅街の、マンションの一室にオフィスがある。2社合同のオフィス。都会ではあるものの、ビル群では無く、人の営みが感じられる住宅街に通うのも続けられている要因のようにも思う。
いろんなことを考えながら歩いた。
家を出る時も一駅分歩き、芝公園もぐるぐるして、そして東京タワーから東京駅まで歩く。今日は15000歩も歩いたらしい。
頭の中がスッキリした。
ライブに行っても思ったけれど、五感を感じられることが私のストレス発散に繋がる気がする。
ライブでは聞いて、見て、大声出して、ジャンプして、没入感が大きく、絶対ふだんはやらないようなことを山ほどする。散歩も、ライブよりかはずっと控えめなことだけれど、風、香り、気温、音…いろんなものを感じられる。そして頭の中は考え事ひとつ。周りが開放的だから、考えも進みやすいのかもしれない。そして適度な疲労感。
気分が晴れた。
夜の時間が長くなって、でもまだ外はそれほど寒くないから、私はしばらく夜に散歩に出そうだ。
次はカメラを持って、散歩に出たい。
快適な涼しい秋がまだまだ続きますように。