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私も誰かのために生きたい

「みずちゃんがいてくれてよかった」

と、抱きつきながら言われた
彼の初出勤の日の夜のこと。


彼は今まで在宅での研修で、この日から出勤での研修に切り替わった。

いつもより早く起きて、いつものように元気に「いってきます」といった朝。

そこからは想像できないようなぐったりした様子で「ただいま~」と気だるい様子で帰ってきた。と思ったら、ソファに飛び込んだ。

久しぶりの満員の通勤電車

画面を見続ける研修

低気圧とともに運ばれてくる暗くて重い雲

そんな環境が重なって、普段からは想像できない状態になってしまったようだった。

疲れた日、私だったらお味噌汁が食べたくなるなと思って、お味噌汁は作ろうと思っていた。「しばらく放っておいて」といった彼を横目に、少し作業の続きをして、明日もあるからそろそろ食べる準備をしようとお味噌汁を作った。他は買ったものと、残り物で済ませる。

お味噌汁を食べていた時、出汁がきいてて美味しいって言っていたなと気持ち多めに入れる。
ふつふつしたら具を入れる。今日はほうれん草と油揚げ。
塩分欲しいかなと、お味噌も気持ちだけ多めに溶いて入れた。

動きだした彼と残りの準備をして、彼が帰って1時間後にようやく「いただきます」

出汁が染みる~お味噌汁飲みたかったんだよね~
今日は作ってほしいって言おうと思ったんだけど言いそびれちゃって、
作ってくれてありがとう
ん!お味噌も濃いめで、塩分がいい!

そう言いながら、お椀なみなみのお味噌汁を美味しそうにすすっていた。



私の最近のマイブームは料理
キッチン周りにこだわりがない彼の家のキッチンは実家よりも使いやすい。食材管理が自分でできる。
それに今の私はとにかく暇なのだ。

彼の家に来て早々に料理を初めて、飽きずに少しずつ作る。私は野菜が好きなので、自分で作った野菜の作り置きの有難さを毎日痛感している。お味噌汁を作れるようになってから、お味噌汁だけは毎日作っている。

そんな私も彼のいないお昼ご飯は、実家の時と同じように適当だ。パンをかじって、残り物つまんで、カップ麺食べて、おかしで空腹を誤魔化す。

ひとりのごはん

作る気にならないなと思う。

そこで「あっ」と思った。

以前、私は他人のために生きたいって人を尊敬するなと思っていた。誰かのために頑張りたいって思える人はすごいなと思う。私は「私の人生を生きる!」ってスタンツだから「世のため、人のため」みたいな考え方にいまいちピンとこない。

でも、この日の彼の姿を見て、彼の居ない時間に家事を済ませていた自分は「この人のために生きたいな」と思っていたんだと思う。これは「支えたい」と思わせてくれる人の力も凄いんだというのもあるなと結論付けていた。彼はそう思わせてくれるような人だ。いつもにこにこで楽しそうで、活き活きしている彼が、力なくぐったりしている様子を見たら少しでもよくしてあげれないだろうかと考えるし、少しでも力になりたいって思う。今の私にできることを考えた結果の行動が、初勤務の日の夜ご飯なんだと思う。


彼と一緒に暮らして、回復した今、私はやっとの思いで次への行動を始めた。それにはいろんな理由がある。お金が尽きるのもすでに時間の問題だし、働きたい気持ちもあるし、本当にいろいろ。

その中の一つとして、彼との暮らしを続けていきたいこともある。

昨年から「春から同棲しない?」と言われ、悩みに悩み続けて「しない」という選択をしたのに、流されるように始めてしまったこの暮らしは、快適で安心感があった。

こんな状況だから家には正直居ずらい。家族の目から離れている安堵感もある。でもそれよりも彼と一緒にいる安心感がずっと大きい。朝起きて隣にいてくれるだけでいいって本当にあるんだと、抱きついて寝れる安心感があるのだと、日々感じている。私が普通に働いていたとしても、彼といる今の生活の方が私の心にはずっと良いと思う。

彼との暮らしを続けたい。

でも、今の私の状況的にそれを続けることは負担しかないと思うんだ。

だから、少しでも重荷を減らせるように、なんとしても私は働かないといけない。

こう考えると結局は “私が彼と暮らしたい” だけの私欲のためかもしれない。

でもちょっとは彼のための気持ちも入っていると思うのよ。


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