拘りと幸せを考える『自転しながら公転する』
※ネタバレにはお気をつけください
ざらっとした感触を残して読み終えた。
正直私としては共感できない内容だった。いや、私は「そうなりたくない」し、私は「そうならないように生きている」からかもしれない。
今の日本にはよくある話なんだと思う。30代後半に差しかかる女性の恋愛・結婚、派遣・正社員、親の介護、上司のセクハラ、学歴社会…
私はまだ社会に出ていないからこれが本当なのかは、もちろん分からない。だから共感できないのかもしれない。でもどこかで聞いたようなことあることが詰まったような内容だった。
⚠︎ネタバレ注意⚠︎
この物語のキーワードは『拘りと幸せ』だと思いました。
アパレル店員の主人公の都が友達のそよかに言われたことを思い出した時の一節。
身なりに気をつけている人はきっと誰しも持っているんだと思う「相手を値踏みする瞬間」が。少なからず、私もあったと思う。というのも、自分自身が値踏みされて、「ダサい」と言われて、自分に似合う服を研究してメイクも研究して、身なりに気をつけるようになったからかもしれません。
私が拘ることは“アニメ化・ドラマ化・映画化”です。原作を読んでしまうと、その登場人物の見た目や身長、声などイメージしすぎて、それに合わない○○化は許せなくなってしまいます。なのでとことん原作派です。
ただの自分の拘りの範囲内に収まれば良いのですが、これが仲の良い友人、恋人、家族とズレていくとお互いが快適な暮らしや関係を築けなくなってしまうような気がします。私はさらに理屈っぽくて論破してしまうことがとても多い、多すぎるので気をつけたいと思います。でも、個人的に拘りって“信念”とか“生き方”にちかいような気もしているので、拘りが何も無いのもなーと思ってしまいます。あくまでバランスと加減が大切なのかなと思います。
要らない拘りは捨てちゃうべきです。
“女の幸せは結婚”と昭和な考え方は未だに残っている。都は結婚したくて、あわよくば子供も欲しい。そんな幸せが欲しいって願っているけれど、言い訳して恋人の貫一との関係を進めようとしなかったんです。これはその時都の友達たちと“ぶっちゃけ”する流れになった女子会でのそよかの言葉。そよかちゃんとは考え方が似ているなと思います。けど友達にはなりたくないタイプ(笑)常に言動が理屈っぽくてイライラしつつ似てるなと思わざるを得ない。
なんか、都の気持ちもわからなく無いと思ってしまう。最後にも言われているけど自分に自信がない。そしてそんな自分に不安なんだ。女性はそんな不安を “結婚” という形で解消できてしまう。それこそ昭和には良くあった話だと思います。実際、私の母もそんなところもあったみたいで。そこをそよかがズバッと理屈っぽく攻めるのはかなり心をえぐられるというか、今の日本ぽいなとも思います。私も都の状況に置かれればそう思いかねないし、友達からそんな話を聞いたらそよかみたいに言ってしまいそう。
それから、中卒でお金が無くて、無職で…そんなどストレートに言うと肩書き全部最悪みたいな人と30代後半差しかかる時に出会って結婚できるかと言われると、それは確かにめちゃくちゃ悩ましいし、子供が欲しい以上、お金を気にする。子供となると自分の経済力だけではどうにもならない事もあるから、都の考えにも共感できる気がします。
1番最後、いろんなことを経て母になった都が言う言葉。確かに、この物語の全てはこれだ!というようなセリフかもしれないけれど、あれだけいろいろして結局これが結末なのか、超ハッピーエンドはこないんだと思ってしまいました。
私はやっぱり幸せになりたい。
ここでは書かなかったけれどニャン君がこの物語では際立ってキラキラしていた。明るくてポジティブで、一緒にいるだけで幸せになれるような人。幸せになりたければ、こんな人と結婚すれば良かったのにと思ってしまうのは私だけじゃないでしょう。
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