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「今日はなんかいい日だった」久しぶりに幸せを感じた

週の頭は、掃除・洗濯・冷蔵庫の整理をしようと密かに決めている。その度合いや目指すクオリティはその時々で変わるけれど、とりあえず手を付けるようにしている。

その日は洗濯と掃除をした。冷蔵庫は週末のうちに整えられていた。掃除はよくできた。掃除機、シンク、トイレ。キッチンはできなかったけれどいつもよりやった感があった。

お昼ご飯を食べ、ゆっくりした。
彼が私の太ももに頭をのせ、そのまま抱きつくように寝ころんだ。その彼の髪を触る。頭を撫でる。その感触とゆっくり流れる空気の心地よさに、ぼんやりと、そしてゆったりと眠気の波がやってきた。彼の体温を感じながら微睡む時よりも愛おしいものってあるのだろうか。今日はこれだけで十分すぎるほど満たされた。

今日こそは自分のために外に出たいと思っていた。結局15時を過ぎて、やっとの思いで外に出た。ずっと引きこもっていると外に出たい気持ちが薄れていく。面倒くさいが勝ってくる。それを吹き飛ばせたのは久しぶりのことだった。
目的地は図書館。
図書館に通っているnoterさんを見て、私も行きたくなったのだ。彼の家の近くの小さなひっそりとした安心感のある図書館は、入った瞬間に「来てよかった」と感じた。

当たり前に棚に並ぶたくさんの本

私の居場所だ

と、ありのままの今の私を受け止めてもらっているような安心感をも感じた。子供向けエリアから見て回る。子供向け、大人向け、そんなことも関係なく、気になったものは手に取ってペラペラと読む。

やりたいことを今すぐやらないといつ死ぬかわからない

そんなちょっと刺さる言葉もあった。

席について数冊、それなりにしっかりと読んだ。やっぱり就活やキャリア系を読んでしまうのは私らしいけど、ちゃんと純粋に気になる本も読めたから良しとした。

気が付いたら窓の外が暗くなっていた。19時を過ぎた頃だった。

彼の待つ家へ急いで帰る。

真っすぐ続く道の奥に少しだけ見えた夕日が夏を想わせた。
歩く人々の装いも半袖で、袖も薄く、風に吹かれてひらひらするのを見て、「ああ、夏が来るんだ」と思った。季節の移ろいをじっくりと感じた。特に春から夏に変わるこの時期が私は特に好きだ。

空には三日月が浮かんでた。iPhoneで撮ろうとしたけれど、ボケて全然綺麗に撮れなかった。綺麗な景色ほど残せないiPhoneのカメラ性能さえも愛おしく感じた。

なんか満月になってる

玄関前で空を再び見た。もう夏の夜だった。でも爽やかだった。
今日はいい日だな。幸せな日ってこんな日のことを言うんだな。気を抜くと涙が出そうだった。気を引き締めてドアを開ける。

ドアを開けるといつもの日常になった。
ご飯を炊いていた。

「ただいま」と声をかけて
彼が「おかえり」と返した。


好きな人との暮らしってこんなに幸せだったんだと思った。いつも間にか、彼がいることが私の日常になっていることを感じた。


眠れない夜が5月終わりから6月頭にかけて続いていた。寝る前のスマホが一因としてあるだろうと考え、寝る前は読書することに切り替えた。どこから読んでもいい『いつか別れる。でもそれは今日ではない』が好きで、今日は後ろの方から読んだ。

私が帰り道に思ったことがそこにもあった。嬉しいというかなんというか、プラスな感情を抱いたことは間違いではない。


なんでだろう。今日はものすごく、良い日だった。
特別なことなんて何にもない。
でも小さいことを感じ取って、それに好きだけ浸って
じっくりじっくり味わって

今日はすごく素敵な日だったと、
何にもないただの日常を残しておきたいと思った。

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