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【現実は正解なんだ。】

「赤めだか」を読んで。立川談志の弟子、立川談春が、弟子に至る経緯から、真打ちに昇進するあたりまでの色々を描いたもの。

「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」

「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんだ。一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。本来ならば相手に並び、抜くための行動、生活を送ればそれで解決するんだ。しかし人間はなかなかそれができない。嫉妬している方が楽だからな。

芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。だがそんなことで状況は何も変わらない。よく覚えとけ。現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。」

こういった言葉は、昔から親や祖父母から子へ、師匠から弟子へ、近所の方からしつこく伝えられてきた。だからこそ、私たちは、人の道を踏み外すことがなかったように思う。

永六輔さんのこんなエピソードを紹介する。永さんは、お寺の住職の息子で、日課である寺の前の道を掃除をする時、広くて大変だったそうだ。それでもまじめに隣の家との境までいつも通りしっかり掃除していると、ある時、家に入ろうとしたら隣の家の人がやってきて次のように叱られたという。

「おい、ぼうず。お前はいつもうちの境界まできちっと掃除しているな。それでは、お前の家とおれの家がけんかしているみたいじゃないか。掃除というものは、少しだけ隣の家の前まで掃除するものだ。そうすると、近所同士のつきあいがうまくいくっていうもんだ。」

このエピソードをもとに、永六輔さんは、自分が子どもの頃は、ご近所の方からもしっかり教育していただいたということを言いたかったのだと思う。

現在は、共働きでなければ生活できない家庭も多く、子どもたちは学校から帰ると家に保護者はいない。保護者が戻るまでの時間は、ゲームやテレビといった情報機器の中毒になり、帰宅してからは晩ご飯、お風呂と家庭学習の時間など、ほとんど取れないという。

「帰宅してからすぐやればいい」

と言えそうだが、思春期の子どもには、そんな習慣はない。仮に宿題や家庭学習をやってきたとしても、テレビを見ながらだったり、朝の慌ただしい時間帯にその場凌ぎに取り組む程度だとか。立川談春さんや永六輔さんのようなエピソードを伝える時間など親子の間で皆無と言える。ならば、こうしたモラル、道徳性は学校で・・・そんな時代なんだ。

「正解はない。あるのは選択だけ」そのように考えてきたが、正解はある。現実、いまが正解なんだ。ありのままの事実を受け入れるしかないのだと思う。

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