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255【教育に社会を変えるチカラはない。だがある。】

子どもに何を教えるか。子どもへの教え方がうまいとか。それも大事だけれど、子どもと接したい。子どもに楽しんでもらいたい。そういう人が教師になるといいな。子どもが自然と寄ってくる。これが一番大事な資質だ。

自分の居場所がある学級は、どんなものか。
自分の意思で自由に前向きに行動できる。なんとなく学級にいる自分、自分でなくても誰でもいい場所。 自分の存在が他から認められ、自分も他を必要としている。自分でなくてはならない、やり甲斐がある場所。 多く認識される居場所は前者だ。

授業は「心」でする。表情豊かに体全体を使って、教える側が楽しむ。身振り手振りで言語の壁を乗り越えてこそ、教師にとっても、子どもにとっても、心と心とが触れ合う授業が出来る。お互いに体を動かすことで肩の力が抜けていく。自分の気持ちを必死に伝えようとする。その努力が交流を生む。

傷ついたり、葛藤したりして、始めて分かる事がある。無傷がイイのかもしれないが、傷つく事にも慣れておいた方がイイ場合もある。 水は溜めておくとぬるくなるし、濁ってくる。嫌われる事を恐れていると好かれることもなくなる。ある程度努力して、それでダメなら諦める。

正しい精神とは
正しい守りとは

苦しい事や困難な事は生きていれば必ずある。それがないことの方が少ない。 困難な事を避けて独りになろうとしたり自分にとって都合のよい人だけと付き合おうとしたりすると、その時はいいように感じるが長い目で見ると視野を狭めチャンスを自分で無くしている。

人生は絶対に思い通りにならないし、それは当たり前。 誰も思い通りに生きていないのだからこそ、当たり前のことを感謝して、楽しめ☆

教育の目的は、子どもたちとどう楽しみながら交流していくかが大切なのであって、子どもの将来とか、社会の要請とかは、別に大きな問題ではない。ただし、社会にどう関わるのかを知っておくことは大事。

「策士、策に溺れる。」最近の教育系講座の進め方、洪水のような教育系雑誌、著書の出版ラッシュ…明日から使えるネタをはじめ、鉄板授業や模擬授業、映像による授業参観記。子どもをネタにした単なる授業SHOWづくりに子どもを突き合わせている。くだらん策を真に受けぬことだ。

努力を通り越した先に、アイデアは出てくるもの。好きなことは、とことんやらせる。好きだから、負けられない。妥協はなし。苦しいときこそ、ワクワクする。正しい指導ではなく、自分だけの指導。ただ押しつけない。与えすぎない。入れすぎて溢れたら、どうしようもない。

結果に一喜一憂しない。自分を信じ抜く。自分に素直に向き合い、日々闘い続ける。子どもたちを少しでも伸ばしてあげたい。学校には規律が必要だ。その中でも、一人一人の心は大切にしたい。子どもは思い通りにはならない。多くの失敗がいい経験となり、よい判断が下せる。面倒な準備が勝利を招く。

「関心・意欲・態度」「知識・理解」「思考・判断・表現」「技能」。観点別評価。オマケのように捉えられることが多いけれど、「関心・意欲・態度」を育てることが一番重要だし、難しい。「楽しい」というチカラを感じる。

自分たちのしていることは本当に子どもたちのためになっているのか。自分は何をやっているのか…必死に講座の準備をしたり、テストの点数をあげるために宿題を出さなければといけないと四苦八苦したり。私がやりたい学校は、こういう学校なんだと錯覚して、毎日朝起きて気分が悪くなる。

所詮、考え方は状況によって変わるもの。絶対なんて絶対ないんだ。それよりも大先生が言ってたとか、本に載ってたとか、テレビに出てたとかの影響力が強いことに怖さを感じる。最近の大先生の情報源はSNSだった…何てことだって、実際はあるだろうに…。

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