見出し画像

037【ほんとうに大切なものは、子どもの心とカラダに火をつけること】

アクティブ・ラーニングという言葉が日本の教育界に出始めて、もうすぐ5年になる。主体的・協働的な学び、深層に至る学び。いま、各都道府県で行われている教員採用試験においても重要なテーマであることは、間違いない。私も含め、教職を目指す人は、「教師になりたい」というやる気や憧れ、そして、実際の現場における教育の難しさ、厳しさ、怖さを十分に味わう。そして、それを自らの力で克服する。本を読んだり、先輩教諭に教わったり、子どもと本気で向き合ったり。どの道を選んだ・選ばされたとしても、いま教師として教壇に立っている人は、誰かにお膳立てされたり、指示されたりというものではなく、自らが進んで挑んでいく過程がある。教員養成課程の中で、教師が伝える全ての科目の内容と方法をマスターすることは不可能である。教師は、教師という仕事を続けながら、常に何かを学び取っていかなければならない。だからこそ、教師にも、子どもにも、最も大切にさせなければならないことは、学ぶ楽しさや喜びを、自身に体験させることだと思う。

こんな定義をしておいて、僕には、教育の未来がはっきりと見えているかというと、否である。一寸先は暗闇である。毎朝、今日はどんなことがあるのか、どんな反応をするのか、そして、自分の教えている・教えようとしていることは、本当に正しいのか、戸惑いと不安がある。と同時に、子どもたちが、今日一日を通して、どこまで成長を遂げていくのか、どんなことを感じていくのか、楽しみでもある。教職は、実践を通して学んでいかなければならない仕事である一方で、一人の人間の一生をも左右してしまう危険性を孕んでいるという責任もある。実践は、実験であってはならない。だからこそ、教師を続けていくということは、後に引くことは出来ない覚悟を決めなければならない。任されたからには、よい授業にしよう。よい出会いにしよう。そういった責任と信頼のバランスだと思う。

『子どもの心と身体に火をつけるには?』

まずは「目的」。そして、「目的を共有する」こと。それも、学ぶ楽しさや喜びを、自身に体験させながら。すると、多くのとんちんかんは「目的」「目的」「何のため?」と目的を言葉で表現しようとする。しかし、限られた経験から、ごく少ない経験や知識から、目的を言語化させても、何の意味もない。単なる言葉遊びのような、中途半端な目的を立ててしまうことの方が、活動の方向を見間違う危険性がある。学びの本質になるならばよい。でも、初めはゴールフリーの状態から始めた方がいい。「何をしたいのか」「何ができるのか」「何をするか」ということを出会い合い、それらを煮詰めていく中で目的に必ず行き当たる。それが「何のためにするのか」に昇華する。それでも、本質に迫るような「目的」は、最後まで見えないかもしれない。目的は後回しにして、とにかく動いてみるのだ。その経験を焦点化し、意味付けしたり、選択肢を与えたり、自分自身の望む変化をリストアップしたりしながら、より具体的に、深層心理へ近づくことになる。(メタモデル)

『子どもの心と身体に火をつけるには?』

「子どもってこんなものだ。」「教師という仕事はこんなものだ。」という固定観念を持たないこと。人との関わりである仕事、まだまだ、こうであるなんてものはない。そもそも子どもがこう動いたらこう対応する、こう質問されたらこう返答する。そういった瑣末な技術に囚われているようでは下の下。本当の教師とは、己の優しさや誠実さが子どもに伝わるように、それこそ染み込むように諦めず、そもそも、言うことを聞かないとか、指導させられないとか、そういった危機すらなかったかのように、自然に子どもたちを導いていく。そこに、固定的な考えはない。しなかやな水の流れのように、子どもたちを大海へと導いていく。

こうした素地・土台の上に、はじめて次が見えてくる。「教師としての適性は?」と問われるならば、それは、固定的な考えを持たないことと言えるだろう。常識に囚われないこと、常に面白いことを考えられること、こうであるとは限らないと、常に自分自身の枠を拡げられることだ。受験一辺倒の生き方・教え方では、得られない発想。それこそが学力だ。すると、学習・学力状況調査やアクティブ・ラーニングを連想する方もいるかと思う。私が思い描いている「学力」というのは、そうした言葉遊びではない。解釈は、これからの子どもたちに委ねられている。「学校」が何かを伝えたり、教えたりする場なのだとしたら、より知識を持つプロの専門家へ聞きに行けば良い。プロの芸術家、音楽家、文学家、数学者、プロスポーツ選手、、、などなど。「何かを教える」のが教師の役割だとしたら、、、。教師の役割は「子どもたちと交流してくる」ことなのだ。立派に振る舞う姿も、緊張する姿も、丁寧に対応する姿も、時に、委ねられ、何も答えてくれないときも。教師との人間関係から、人としての生き様だったり、有り様を学ぶ。10年後、教育システムは大きく変化する。そのことに対する戸惑いと不安、そして、これからの若者・馬鹿者たちが、どんな社会を思い描いているのかに多いに期待する。20代・30代の未来を見る世代から、少しずつよそ者になっている私は、どうやって関わっていけばいいのか、とっても楽しみなんだよなぁ~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?