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【バスケの試合でのこと】

ジュニアの男子女子の審判をしてきた。

いくつか考えさせられた。

バスケットの指導者は、「コーチ」と呼ばれる。野球の指導者が「監督」と言われるのに対して、「コーチ」が大きな役割を担うのは、機微として変化する局面において、選手達をいかにして勝利に導いていくかを求められるからだと思う。まさに荒れ狂う場所を運ぶが如く。それだけにベンチワークが勝利にどれだけ影響するか、審判員なら大きく配慮するところだ。

ベンチからの選手達への気になる声かけがいくつかあった。
「やられているのはわかる。いまは我慢のときだ。」
「選手の見えない真後ろから、べったりスクリーンに言ってるぞ。気をつけろ」
「相手チームは、どんなことをしてこようと、いまが耐えろ。後半、絶対楽になるから」

コート上で、これを言われて相手チームのディフェンスは徐々に萎縮していった。おそらく手のファウルがあるんだとアピールしているつもりだろうが、手のファウルはない!!手を当てているが、影響がない。ワンハンドのチェックは、このレベルならば致し方ないと判断しているし、よくサイドステップでカヴァーしていた。にもかかわらず、そのアピールは、中学生にはちょっとかわいそうだった。当然、点数を取られ出し、シーソーゲーム。自分のベンチからも叱られていた。

コート上でしか感じられない微妙なやりとり。2Qの終わり頃には、選手同士で
「気にするな、気にするな」
と声をかけあっていた。熟練のチームになると、たとえベンチからアピールがあっても、「ベンチとの闘い、審判との闘い」として、コーチの信念のもと、プレーをやらせ続ける。でも、今回のベンチワークは、ちょっと違う。

あとから、他の人に熱く語っていた弁解によれば、
「審判員が見えていないのであれば、私は選手を守るために何でも言う」
んだそうだ。「選手を守るため」に、自分の基準を試合に持ち込むわけだ。。たぶん、もっともっとレベルの高い選手同士の試合になったときにも、同じことをするんだろうなぁと思った。べったりスクリーンに行ったこと、対角線上に見ていたベンチからほんとに見えたのだろうか?少なくともトレイルからは、密着ではなかったし、スクリーンにディフェンスはかからなかった。30センチ以内には近づいていたけれど、接触したという事実がない。近づいてロールできないだろうから、オフェンスファウルなのか?見やすいリードからもノーホイッスルだったことを考えると、どう判断したんだろう。「見えなかった」と片付けていいんだろうか。

自分たちの都合のよい事実は取り上げて
「選手を守るため」
その後の審判員に対する講義も、影でこっそりと。。対角上のベンチから見えていたかどうかもはっきりしないのに。。。大きく声を出して、一生懸命なんだろうと思ったけれど、テクニカルとればよかった。でも、そうすると、広い意味で、選手は守れただろうけど、私は、審判員として、人格否定をされて、協会などに苦情を言われ、その後の大会でも、いい割をもらえなくなるんだろうなぁ。。そういう協会だからなぁ。

私はバスケは大好きだ。でもバスケに関わる人には、好き嫌いがあるな。。教えていないプレーなのに怒鳴ったり、失敗をいつまでもネチネチ責め続けたり。シュートが入らないと、ボールをぶつけたり、人格否定や精神論まで批判したり。。。自分が選手だった頃も、そういう風潮はあった。バスケって、卑怯で荒っぽいスポーツなのかなって感じたこともある。でもさ、そんなスポーツじゃない。バスケで伝えたいことってのは、もっともっと大事なことなんだけどな。。

ちなみに審判中は、この2つを試してみました。まったく釣る気配もなし。次の日の筋肉痛もなし。歩数計を見ると、2試合で12000歩越え。つまり9キロ以上、ほぼ全速力でイケタ☆
また全道の舞台で審判出来るかな。来年もトレーニングは続けよう。

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