グラーブ・ジャームン【2】 原料となる二つの乳脂肪
インドの菓子はその成分から、「ミルク由来」と「非ミルク由来」とに大別できる、と前回お伝えした。つまりそれだけミルク菓子が多いのだ。その主成分となる乳脂肪も、製法によってさらに二つに大別できる。それが「コーヤー」と「チェナー(地域によってはチャナ、サナなど)」である。コーヤーから作る菓子には前述のグラーブ・ジャームンが代表的だが、それ以外にも個性豊かな菓子がある。少し例を挙げてみよう。
「ガージャル・カ・ハルワー」は仕上げの段階でコーヤーが投入される。インド北西部の街パンジャーブの冬は意外なほど寒い。そんなに寒風にさらされた街なかで、温かそうな湯気を立てる菓子屋の店頭に置かれたガージャル・カ・ハルワーほど蠱惑的なものはない。温かな一口を、スライスされたゆで卵と共に口に含めば、全身くまなく多幸感に包まれる。
「バルフィー」とはペルシア語で「氷」を意味するバルフに由来する菓子。その名の通り、表面に氷の結晶のようにヴァルク(銀箔。正確にはチャーンドニー・ケ・ヴァルク)が貼られ、きれいなひし形にカットされた姿はミターイー・ワーラー(菓子屋)のショーケースの中でも燦然と輝く存在となっている。ただ語源がペルシア語だからといってペルシア(イラン)に同名の菓子があるわけではない。このように、本国ペルシアには存在しないのに、ペルシア語でつけられた料理名がインドには無数にある。だから思わずそれらがペルシア発祥だと誤解してしまいそうになる。ちなみにバルフィーは特に原材料をコーヤーに限定した菓子ではなく、カシューナッツやベスン粉(乾燥チャナー豆の粉末)など複数の素材のものが存在する。
インドでは菓子でも料理でもゴージャス感を演出する時はしばしば銀箔を使うが、日本のように金箔を料理に用いることはほとんどない。だからといって日常的に好む貴金属は圧倒的に銀ではなく金である。このインド人の金と銀への見方・感覚も気になるところである。
「ペラー」は単に加糖したコーヤーを小さく丸めただけのきわめて原初的な菓子。質素な厨房設備で作られる、この何のひねりもない単純な菓子が現代でも広くインド人に愛され続けているところに、ヒンドゥー教徒的聖牛信仰の強さがかいま見える。とりわけ「牛飼いのクリシュナ神」信仰の発祥の地ヴリンダーヴァンや隣接する街マトゥーラーで作られる「マトゥラー・ペラー」は有名である。
コーヤーではない、もう一つの乳脂肪であるチェナーから作られる菓子は、ベンガル、オディシャ(オリッサ)などの東インドを中心として消費されている。チェナーは、ミルクにレモン汁や酢などの酸を加えることで乳脂肪分を凝固させ抽出させて作る。これはインド料理でもなじみの深いパニールの製法と同じである。パニールの語源はペルシアで、諸説あるがムガル時代に西方ペルシアからインドのパンジャーブ地方へと伝わったとされる。一方、東インドのチェナーはパニールとほぼ同時期に、当時この地方へと侵攻してきたポルトガルによって伝わったものだという。
さて、ここで一つの疑問が生じる。古代より聖牛信仰が盛んで、コーヤーやマッカン、ギーといったさまざまな加工品が作られている乳製品の扱いに長けたインドで、なぜパニールだけがムガル時代という、長いインド史的にごく最近とすらいえる時代に「輸入」されたのか。マッカン、ギーなどに比べてパニールはさほど難解な工程があるわけではない。むしろ容易ですらある。
理由の一つと考えられるのは、やはりインドの聖牛信仰に関連したもの。パニールは生乳に酸を投入して乳脂肪と水分に「分離(カーディング)」させ、そのうち乳脂肪のみを取り出したものだ。しかしミルクという「聖なる牛からの恩恵物」を人為的に化学分解してしまうのは罰当たりな行為だとヒンドゥー教徒たちは捉えた。だからカーディングの技術そのものは古代サンスクリット文献に登場するにもかかわらず、その後のヒンドゥー社会には定着しなかった。やがて西方からイスラーム文化が流入し、聖牛信仰とは無縁のイスラーム教徒が増えるにしたがってようやくパンジャーブ人の間で浸透。さらに第二次大戦後の独立期、多くのパンジャーブ難民がデリーへと流入。その時パンジャーブ人たちがデリーにパニールを伝え、以降北インド全域のヒンドゥー教徒の間へと広まっていったという。
一方の東インド。インド人の中でも最も進歩的かつ合理的なマインドを持つベンガル人は、多くの北インドのヒンドゥー教徒が固執しがちな保守的な価値観から比較的自由だった。実際私の周りにも、若いころ好奇心でムスリム食堂に行き、こっそり牛肉料理を食べたと自慢するベンガル人ブラーフミン(本来なら厳格な菜食戒律を守るべきヒンドゥー教僧侶階級の人たち)が数人いる。こうした進歩的な人たちによって「罰当たりな」乳脂肪であったはずのチェナーは、中国人が持ち込んだチーニー(白砂糖)と共に「チョムチョム」、「ションデーシ」、「カロ・ジャムン」、「ラージボーグ」といった固有のベンガル菓子として発展していくのである。
ベンガル、とりわけ中心都市コルカタは英領時代の首都でもあり、多くの人々が集まり新しい文化が華開いた。当時は最先端だった、現在では創業100年超えの老舗菓子屋がいまもコルカタ市内にはゴロゴロある。それぞれの店のガラスケースには白い色を基調とした甘味がぎっしりとひしめき合っていて、一個単位で購入が出来る。中でも食べておくべき筆頭は「ロシュ・ゴッラ(ラス・グッラー)」だろう。
ロシュ・ゴッラは文字通り団子(ゴッラ)状にしたチェナーを、熱した砂糖シロップに漬け込んだベンガル銘菓。スポンジ状になったチェナーはよろめくほど甘いシロップをたっぷり吸いこんでいて、手食しようと指でつまみ上げようものなら、せっかくのシロップがポタポタと落ちてしまう。だから素早く口に放り込まなければならない。と同時に、受け皿に残ったシロップも音を立てて吸う。これが正しいロシュ・ゴッラの食べ方かどうかは知らないが、周りのベンガル人たちもたいていそんなふうに食べている。
「ロシュ・ゴッラを食べる時は大口を開けてなるべく一口で食べなきゃさ。ロシュ(シロップ)とゴッラは一緒に口に含むのがベストマッチだからな」
相席になった初対面のおじさんから、聞いてもない食べ方指南をされるのも、インド食べ歩き旅ならではの楽しさだ。
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