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タンドリー・チキン【3】 タンドリー・チキンの最適解

インド食器屋「アジアハンター」の店主・小林真樹さんが、食器買い付けの旅や国内の専門店巡りで出会った美味しい料理、お店、そしてインドの食文化をご紹介します。


タンドリー・チキンの調理手順はさほど複雑ではない。香辛料入りのヨーグルトでマリネした鶏を串に刺し、熱せられたタンドールの中に投入。香ばしくなる頃合いを見計らって取り出せば完成となる。その際注意するのは事前に鶏の皮を取ってしまうこと。残しておくとその部分が焼けて黒く焦げてしまうからであるが、焼き物だけでなく、例えば煮込み料理でも鶏皮を剥いでしまうインド人は少なくない。その理由を当のインド人たちに聞いてみると人によって答えが千差万別なのが実にインドらしい。いわく「ゴムみたいで食感が損なわれる」「不潔だから」「臭い」「気持ち悪い」「そもそも食べたことがないから味を知らない」という人から、中には鶏皮は「ハラームだから」「不浄だから」という人までいる。

宗教的な理由に関連して、ある知り合いのネパール人(ネワール族)が教えてくれた話だが、幼少期、彼女のネパールの自宅には時々儀礼のため儀礼僧を招いていた。僧は厳格な宗教上の理由で鶏肉を決して口にしなかった。しかし鴨肉ならば宗教上何の問題もないらしく、鴨料理を出したら美味しそうに食べていたという。鶏と鴨の間にどれほどの宗教的差異かあるのか、その知人は成人した今もってわからないという。極端な例かもしれないが、食肉に対する宗教上の規制などというものは、見方を変えれば不自然かつ滑稽なものに映る。

現在ではインドも他国同様、鶏は大規模処理施設でまるで工業製品のように加工処理される。成長したブロイラーはケージに入れてトラックで陸送され、食肉処理場内で両脚を固定し逆さづりされベルトコンベアで運ばれ、ムスリムの作業員が一羽一羽首に刃物を入れて絶命(他国ではこの工程も無人機械化しているが、イスラム教徒の購買層が多いインドでは彼らの教義にしたがった、つまりハラールな屠殺の仕方をしなければならない)させたのち、熱湯噴射し洗浄して羽を除去。内臓と頭、脚を取り除いて梱包され市場へと出荷されていく。この過程では皮は残したままである。

インド人の地鶏へのこだわりは強い


この大規模な加工とは対照的に、今も街中のバザールには生きた鶏をケージに入れて販売している個人経営の肉屋が多い。注文するとその場で〆て羽を除去し、丸太のまな板に太い包丁で叩くようにぶつ切りにして袋詰めしてくれる。この羽の除去に際し、毟るのではなく皮ごと捨て去ってしまうやり方があるのだという。皮はそもそも食べない人が多く、その方が作業も早い。だからこのようにして購入した鶏肉には最初から皮はついていない(いえば皮も入れてくれる)。

足の親指で挟んだ包丁で素早く鶏をカットするデリーの肉屋


ただしインドは広く、鶏皮を問題なく食べるという人もまた多数存在する。それもどちらかというと南部から東部、北東部にそのような人が多い印象だ。もちろん同じ地域内でも食べる人と食べない人とがいるから一概にいえないが、鶏の皮を食べるかどうかでインド地図を色分けしてみるのも面白いかもしれない。さらにインド人が鶏を見る際に重視しているのがデーシーかどうかという点。デーシーとは語義的には「国内の」といった意味で、外国産(パルデーシー)と対になる言葉だが、鶏の場合に限ればブロイラーに対する地鶏といった意味で使われる。狭いケージで不健康に太らされたブロイラーよりも、大地を走って身の引き締まった地鶏の方が美味いと感じる感覚は日本人とも共通するだろう。インド人は何よりこのデーシー・チキンが好きなのである。

さらに日印の比較でいえば、インドでは丸鶏(フル)またはその半分(ハーフ)をシーク(串)に差してタンドールに投入するが、日本では骨つきのもも肉が使われることが多い。バターチキンなどと同様、個人用に小さなポーションで作るケースが日本では多いためであり、一方インドでは大きなものを複数人で取り分けて食べるためである。また鶏を香辛料入りのヨーグルトでマリネする際、インドはそこにさらに食紅を投入して仕上がりを赤くするのを好む。一方、日本ではせいぜいパプリカ程度であまり赤々と色付けしたものはみられない。

囲んだ鶏をむさぼり食べるインドの青年たち


近年、ガス式のタンドールも増えてきている。とりわけ専門業者であるナンバーイーのタンドールは鉄製のガス式であるところが多い。その方が効率よく何枚ものナンを焼けるからだ。一方、タンドール料理を出す店はガスではなく炭を燃料に使うところが多い。これはガス設備の未整備のためというより、炭火の方が美味しく出来ると思われているからである。一部のヒンドゥー教徒の中にガス火の調理を「ガス臭くなる」といって嫌がる人もいる。彼らにとっては炭や薪火での調理が理想なのである。

結論として「皮を剥いだデーシー・チキンを、炭火燃料を用いた素焼き製のタンドールでじっくりと焼き、食紅で赤く色づけされた一羽ないし半羽で提供される」タンドリー・チキンが、現時点でのインド人にとって最適解ということになる。もちろん食の嗜好は時代や調理環境によって移り変わるから、今後それがどのように変化し解釈されていくのかは未知数ではあるのだが。





小林真樹
インド料理をこよなく愛する元バックパッカーであり、インド食器・調理器具の輸入卸業を主体とする有限会社アジアハンター代表。買い付けの旅も含め、インド渡航は数えきれない。商売を通じて国内のインド料理店とも深く関わる。
著作『食べ歩くインド(北・東編/南・西編)』旅行人『日本のインド・ネパール料理店』阿佐ヶ谷書院
アジアハンター
http://www.asiahunter.com

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