ファルーダ【2】 ファルーダ流入の三つの流れ
前回紹介した通り、ファルーダは外来のインド料理である。その源流はペルシア(イラン)にあり、中でも東部の街シラーズが発祥だといわれる。イランのシラーズという街に私は今からちょうど30年前、1994年に一度だけバックパックを背負って旅したことがある。ただ当時は「ファルーデの街」としてのシラーズを知らず、せっかく滞在したのに一度も口にすることなく次の街へと移動してしまった。
このように、一つの旅の中で「あの時アレを食べておけば……」と後悔することは山のようにある。逆に「アレを食べていなければ……」などという後悔は不思議とない。仮にその後体調不良になったとしても、である。旅での食は正に一期一会。食べておくべきだった料理の存在を、その地を去ったあとに知ることほど悔しいものはない。
さて、ペルシアのファルーデはインドに伝わりファルーダとなった。この伝播ルートは大まかに三つあると私は思っている。それぞれのルートを経たファルーダは、同じ名称とは思えないほどそれぞれまったく異なる形状と味をしている。ここではそれぞれの伝播ルートと定着した地域とを、私見を交えて紹介していきたい。
第一の伝播ルートは、パキスタン北部からインド北部の都市部にかけて。地理的に最もペルシアのシラーズに近く、インドのファルーダの中でも最もオリジナルに忠実な、クラッシックなタイプのファルーダである。このタイプはプラオやカバーブなどと同様、ムガル帝国時代に陸路で伝わりインド化したものと考えられる。麺状であるファルーダは発祥元のペルシアのように単にシロップをかけただけでなく、インド発祥の乳製品の冷菓クルフィーや、これまたインドらしい乳製品のスイーツであるラブリーを組み合わせて食べられるようになった。もともと冷菓であったファルーデは、インド化する過程で現地の冷菓と結びついて広く受容されていったのだ。クルフィー・ファルーダ、ラブリー・ファルーダを出す店はインドでもデリー旧市街やラクナウなどムガルゆかりの古都であることが多い。昔ながらの素焼きのマトカー(=壺)に入れられたクルフィーをファルーダと共に出してくれる店や、貫録のあるおじさんが年季の入った分厚いガラスコップにラブリーとファルーダを入れてくれる店など、提供する人もスタイルもクラッシックなのが特徴だ。
第二の伝播はイラーニーによるボンベイルート。地図を開くと実感するが、イランとインドはペルシア湾を渡ったホンの目と鼻の先。現在でこそインドとの間にパキスタンが挟まるが、かつて双方は地続きであり隣国同士でもあった。こうした地理的要因から、例えばペルシアにイスラム教が伝わった時代、宗教的迫害から逃れてインドに避難したゾロアスター教徒らはその出身地にちなんでパールシー(ペルシアの人)と呼ばれ、地理的に最も西部に位置するグジャラートに定住した。
時代が下り、イギリス領の西の玄関口として栄えたボンベイには、仕事や機会を求めて内外から多くの移民が流入した。商売に長けた在印パールシーたちもいち早くグジャラートからボンベイに進出して財を築いていく。同時にイラン(1935年に国名をペルシアからイランに変更)からも主にムスリムの移民が多くやって来て、パールシーに雇用されたり、工場労働者として働くようになる。彼らはイラーニーと呼ばれ、やがて小さな自営の軽食屋を持つようになる。それはのちにイラーニー・カフェと呼ばれ、ボンベイの都市生活者の間に広まっていった。バン・ムスカやキーマー・パウといったハイカラなメニューと共にファルーダも提供された。しかしそのファルーダは第一のルートでインド化したものとは全く異なる見た目をしていた。
基本的にでん粉麺が入っている点「だけ」はイランのファルーデを踏襲しているものの、彼らはそれをガラスのジョッキに入れ、まるでパフェのようにアイスクリームやローズシロップ、バジルシードやドライフルーツを加えて原型からは想像出来ないほどの魔改造をほどこしたのだ。原型のような大人しいビジュアルだと大都市ボンベイでは誰も見向きをしなかったからだろうか。
最後に第三の伝播ルート。70年代以降、石油開発で潤う湾岸諸国に多くのケララ州出身者が出稼ぎに行った。ドバイやアブダビといった大都市の建設現場が主な働き先だったが、飲食業界で働くものも少なくなかった。ドバイに行くとわかるが、レストランのデザートメニューには背の高いグラスにあふれるようにして盛り付けられたパフェやサンデー類が並んでいる。その中にファルーダもあるのだ。
こうした業界で働いた経験をもとに、ドバイから帰国してケララの都市部ではじめたレストランには当然ながらドバイ式のファルーダが置かれることとなった。その巨大で派手なファルーダは、インドのほかの地域とは明らかに一線を画すものである。今やファルーダはケララの地にすっかり定着し、なんとファルーダ専門店まであるほどなのだ。
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