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【20代から見た政治】「お願い」と「お返し」はセット。私たちはそうやって生きてきた。

見返りのない「お願い」はいつまで続くのか。
私たちは、一人では生きていない。仕事も私生活も勉学も、
色々な人と関りながら社会を生き抜いている。

そんな私たちは、誰かに「お願い」をしながら上手く生き抜くことがある。

「ごはん奢るから、講義ノートを見せて欲しい」
「来週のシフト代わりに出るから、明後日代わりに出勤してほしい」
学生時代に何度か友人たちと交わしたやり取りである。

○○というお返しを確約するから○○して欲しい。

私たちは、見返りと共に相手のご厚意を享受できる
それは、お金を出して何かを買うといった社会活動と似た構造で、社会を形成するルールのように私たちの周りに当たり前に存在する。


私たちは、この1年、どれだけのお願いをされてきただろう。
すぐに見返りが欲しいわけではない。昨年は、国民一人当たりに10万円の給付を受けてきたし、筆者のような個人事業主は安くない持続化給付金を受け取ることが出来た。
本当に助かった。納税をしてきて良かったと心の底から感じた。

2021年、季節に比例するように、私たちが置かれた環境は厳しい。
昨春はそれまでの貯えがあった企業も1年の氷河期で余力が少なくなっている。お世話になっている人からのお願いはなるべくなら聴いてあげたい。

でも、そろそろ限界ではないだろうか。
私は肌で感じ始めている。

そんな中、私たちは2回目のお願いを今されている。
このお願いを聴いたら私たちには何を返してくれるのだろう。健康、確かにそれはある。でもそれはお願いしてきた方がくれるものではない。
お願いを聴いた私たち国民がもたらした只の結果である
勿論、結果であろうと何であろうとそれは大切なことだとは理解している。でも、そんな綺麗ごとではもう済まされない。
思いやりの国民性を振りかざし、私たちは無償の愛をお国のために捧げなければいけないのか。

すぐに制度を一新して欲しいわけではない。でも、対症療法で堪えた2020年と同じことを続けるのは、お返しのないお願いに等しいと思ってしまう。

お願いだけして、お返しをしてくれない人は、お友達からの信頼を失ってしまうよ
そう、私たちは子供に諭すように、国民の代表者たちに声を上げないといけないのか。

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