ルーツ旅【京都・山城地域②】すべてはあの町の「春日神社」から始まった
翌朝10時、駅のロータリーで待っていると、白い自動車が目の前に止まりました。西条さん(仮名)です。明るくて穏やかな男性で、年齢は田村さんと同じ70歳ぐらい。西条さんにはこれから約3時間、Q町を案内していただきます。
▼Q村は興福寺の荘園だった
そう、江戸時代から代々、私の先祖が住んでいたのは、京都南部の「Q」という町(当時はQ村)です。
Q町は、山に囲まれた小さな農村です。町のホームページによると、平安時代から鎌倉時代にかけて、ここは寺社の用材を調達するための領地だったのだとか。
興福寺の荘園だった時期もあるようで、これは私にとって大事なポイントです。大和の戦国大名・筒井順慶は、興福寺のトップ(官符衆徒=僧兵の代表)だったからです。ネットの情報によると、もともと筒井氏は僧侶の家系で、かなり昔から興福寺と深いつながりがあるようでした。
もしかしたらうちの先祖は、興福寺の荘園の管理を命じられた筒井氏の一族じゃないか。私は、そんな風に考えました。もしそうなら、どこかに記録が残っているかもしれません。
ここは奈良から離れた場所にあるし、さすがに私も筒井順慶の直系の子孫と考えるほど楽観的ではなかったので、おそらく先祖は、たくさんいた筒井氏の親戚の一人だったのではないかと考えたのです。
▼天満宮の中の「春日神社」
私は、最初にQ町にある天満宮を訪ねることにしました。家系図に、「Q村に移住したのは、春日神社の別宮を建てるようにとのご神託があったから」と書いてあり、ネットで調べると、Q天満宮の中に春日神社があるとわかったのです。
宮司さんに聞けば、筒井氏に関する手がかりがつかめるんじゃないか、そう思っていました。
西条さんは、30分ほど車を走らせてから、Q天満宮の駐車場に乗り入れました。私が予想していたよりも小さな神社で、門の前に立つと、奥にある朱色の鳥居がすっぽりと門の中に収まって見えます。
鳥居をくぐるとすぐに本殿がありました。私と娘は鈴を鳴らし、お賽銭を入れて手を合わせます。
▼菅原道真公の「なで牛」
本殿のそばに、小さな牛の像が置かれていました。Q天満宮は平安時代、円融天皇より菅原道真の絵を奉納され、祀ったのが始まりだとか。ご存じの方も多いと思いますが、菅原道真公といえば、牛が神様の使いとされています。この像をなでると傷や病気が回復するとの言い伝えがあり、私も頭や背中をなでさせてもらいました。
入口の近くに、これまで神社に奉納した人の名簿が掲げられていて、そこに筒井の名前がありました。後日、戸籍で確かめたところ、明治36年生まれの先祖でした。おそらく、そのずっと前から、私の先祖はお祭りやお祝い事など、何かにつけてこの神社を訪れていたのでしょう。
境内を歩くと、かなり古い石灯篭が目につきましたが、表面が風化していて、なんと書いてあるのかわかりません。石灯篭ひとつとっても、これは自分の先祖が建てたものかもしれないと思うと、見る目が変わってきます。
▼残念ながら、宮司さんは不在だった
私は、宮司さんに話を伺おうと思いましたが、境内に人影はなく、社務所のドアには鍵がかかっていました。西条さんは申し訳なさそうに、
「ここは普段誰もいなくて、毎月1日に宮司さんがやってくるようなんです。事前に知らせればよかったですね」
私は、当てが外れて内心がっかりしました。こういう小さな神社には、いつも神職さんがいるとは限らないようです。次回はちゃんと、事前に連絡して出直してこようっと。
▼橋の向こうに春日神社が
地図をみると、春日神社はQ天満宮から少し離れたところにあるようです。私たちはいったん外に出て、朱塗りの橋を渡ると、そこにコンクリート製の鳥居がありました(注:後日、石造りと判明)。
Q天満宮と同じく、こちらにも人けがありませんが、鳥居の手前で作業服を着た人が草刈りをしていたので、挨拶しました。
この鳥居をくぐると、いよいよ私の先祖と深い関係がある春日神社にたどり着きます。私はワクワクしました。
(続く)
サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。