【もののふ椿🌺】ご先祖様とスピリチュアルについての私の考え👻✨
お盆休みの真っただ中、皆様いかがお過ごしでしょうか。私は家族がみんな出かけているので、ひとりでアイスを食べながらのんびりnoteを楽しんでいます😊。
せっかく時間があるので、今回は趣向を変えて、ご先祖様や世の中の不思議なことについて、私の考えを書いてみようと思います。
▼ご先祖様は神様なのか?
日本では古くから「祖霊」、つまり先祖の霊魂が子孫を見守るという考え方があります。いわば守護神のような存在です。
しかし仏教の場合、死者は地獄や極楽に行ったり、果ては転生したりするので、祖霊の考え方とは相いれなさそう。
Wikipediaで調べたところ、祖霊というのは昔ながらの日本の民間信仰(古神道)の考え方のようです。そして、時間がたつうちに祖霊が神格化し、「祖神」や「氏神」として信仰される場合もあるのだとか。
よく日本人は無宗教といわれますが、お盆やお彼岸にご先祖のお墓参りをする人が多いところからすると、多くの人が「祖霊」や「祖神」に対する畏敬の念や信仰心のようなものは抱いているように思われます。
私自身についていうと、これまで私はルーツ探しでさまざまな先祖と向き合ってきましたが、時々、「祖霊」に導かれたり守られているような感覚があり、人は死んだら終わりではなく、先祖は自分の中で存在し続けているような気がしています。
▼ご先祖様のたたりはあるのか?
ところで最近、某宗教団体のいわゆる霊感商法について耳にする機会が多いのですが、霊感商法の決めゼリフって、「このままだと先祖のたたりがありますよ」というものだそうです。
悩みをかかえている人に対し、その原因はご先祖様のたたりや悪い因縁によるもので、そこから逃れるためにはこの壺を買わなければいけないなどと言って、高額な商品を売りつけるのだとか。
しかし、なぜ先祖が子孫にたたる必要があるのでしょうか?
私には、そこが理解できません。
普通に考えると、自分の子や孫に幸せになってほしいと願うのならともかく、「不幸になってほしい」と願う人ってあまりいないのではないでしょうか。
そんな単純な理屈から考えても、先祖が子孫にたたるなんてあり得ないと思います。
本当に、人の心の弱さにつけこんで物を売るなんてダメですよ~😠
▼因果応報ではなく因果関係
そんなわけで私は、先祖が子孫に害をなすなんてことは信じていません。
以前、「私がいまここに存在するのは先祖が色々やらかした結果だ」という話を書きましたが、あれはあくまでも「因果関係」の話であって、「因果応報」ではないのです。
私の先祖が、当時流行していた新興宗教にハマったことから、祖母や母、私と約90年にわたって大変な思いをすることになったのは、決して先祖のたたりではなく、ただ筒井N助がふがいなかったことが原因なのです😓
▼占いやスピリチュアルはすべて嘘なのか
話は変わりますが、先日、ぼーんぐんさんの投稿で、占いやスピリチュアルについて排他的な考え方を持つ人が取り上げられていました。占いやスピリチュアルは基本的に、お金儲けをしたい人の嘘であると考える人がいるようです。
これも最近、霊感商法が話題になっていることが背景にあるのかもしれません(そういったものに不信感を抱く風潮があるということで)。
確かに、占いやスピリチュアルというのは科学的根拠がなく、不合理で迷信みたいなもので、それを受け入れる人はちょっとおかしいんじゃないかと思っている人は世の中に少なくない気がします。
おそらく、物事を白黒はっきりさせたい人や、自分がそういう目で見られたくないという思いのある人ほど、否定する傾向にあるのではないかと……。
ぼーんぐんさんのコメント欄にも書いたのですが、私は、占いやスピリチュアルはサプリメント(栄養補助食品)に似ていて、適度に取れば心の健康に役立つものであり、キッパリと否定する必要はないと思っています。
問題は、そうしたものを盲信して実生活に支障を来たす人や、反対にそれらを使って人の心の弱さにつけ込み、経済的に搾取しようとする人がいることではないでしょうか。
また、私はそもそも全ての物事に科学的なエビデンスを求め、それがなければ全て否定するという姿勢は、思考の幅が狭くて硬直的であるだけでなく、その姿勢を貫くといざという時に困るんじゃないかという気がしています。
もし、人生で自分ではどうしようもない困難に直面したとき、適度に占いやスピリチュアル的な考えを取り入れている人の方が、現実を違う角度で見ることができるなど、その状態を乗り切るためのヒントを見つけやすいと思うのです。
だから、自分の心の状態をうまく保つための方法として、適度な占いやスピリチュアル的な考え方はアリだと私は思っています。
また、少し違う話になりますが、占い師や死者の霊と交信するイタコなどは、昔から一種のカウンセラーとしての役割を果たしてきており、その言葉を受け入れることで心が救われ、生活を平穏に営めるようになった人はたくさんいるはずです。そういった意味でも存在意義はあると思うのです。
▼その人にとっては現実にあったことだと考える
世の中には、不思議なことを体験した人がたくさんいます。
でも、その体験が本当にあったことなのかどうか、言い換えれば客観的な事実かどうか証明するのはまず不可能です。
だからといって、私はそれらがすべて嘘だとか、反対に全部本当のことだとは思いません。そもそもそれらは主観的な問題なので、本当のところは私にはわからないのです。
だから私のスタンスは、その人がそういうのであれば、それはその人にとっては現実に体験したことなんだろうな、というものです。
特に、それが私の信頼する相手であればなおさらです(筒井K太郎さんの臨死体験や私のおばの臨死体験など)。
なので私は、noteでいわゆるスピリチュアル的な不思議な体験をした人の記事に出会った場合は、基本的に否定することなく、「ああ、この人にとっては本当にあったことなんだろうな」というスタンスで読んでいます。
▼最後に
スピリチュアルなことはさておき、今の時代、先祖を身近に感じる機会はなかなかありません。いまや、先祖は自分で発見しなければ存在しないも同じという時代になったような気がします。
せっかくの機会ですから、ぜひこのお盆休み、親戚の集まりでご先祖について知っていそうな人に尋ねてみてはいかがでしょうか。きっと話が盛り上がると思いますよ。
もののふ椿でした🌺✨
(終わり)
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サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。